閑人亭日録

『絵は語り始めるだろうか』十一

 佐藤康宏『絵は語り始めるだろうか  日本美術史を創る』羽鳥書店2018年初版、「31 ノーマン・ブライソン著 佐藤康宏訳 「身体を西洋化する── 明治洋画における女性、美術、権力」を読んだ。卓見多し。

《 それほどに近代化は差異を否定し、実際、差異の否定の上に築かれた。西洋を日本に同化し、にっぽんを西洋に同化する、模倣と吸収の鏡の経済の中で。同様にして、 文化的仮想は、日本と西洋との密接な結びつきを乱すかもしれない差異のあるところは何であれ、自ら追放し、その価値を切り下げた。そういう対象のうち最も顕著なのは 江戸時代である。鹿鳴館文化は、前近代の日本の痕跡や文化的影響を、完全に消し去ることはできないまでも最小限にとどめようと決意したいた。 》 867頁

《 ジェローム、コラン、ルノワールロダンらによって寿命が延びた男性中心の視覚世界においては、モデルは視覚の秩序における女主人ではなく、単なる卑しい 召使いだ。フランスに留学した明治の画家たちが作り出した西洋の女性のイメージは、ヨーロッパのモダニズムが全体として持っていた男─女の力関係とほぼ同じパターン を示している。その力関係のパターンこそ、男の女に対する優位性の表現と不可分の、絵画における近代性というものを形作っているのである。 》 890頁

《 文展という展覧会と黒田の作例が証明したのは、外国文化を自国のものとしたことだった。 》 893頁

《 一八八二年には日本の産業人口の六六パーセントは女性だった。近代化は主として女性の労働に依拠していたのである。(中略)美術においても状況はそれほど 違わなかった。洋画においても、女性の存在は新しい日本の秩序に目に見える形を与えるのに不可欠だった。それでも彼女たちは付属品であり、近代性の単なる小間使い だった。ヒエラルキーの頂点には、各アトリエや美術団体の長がいた──ジェローム、コラン、ロダン、そして工部美術学校や明治美術会、白馬会の指導者たちだ。 アトリエのヒエラルキーの最下層にモデルがいた。美術は、産業と同じように男の仕事だった。 》 894頁

《 この論文は、いうまでもなくジェンダーの視点から明治期の文化、とりわけ洋画について論じたものである。 》 後記 899頁

《 できれば私自身の覚醒と、日本美術史研究を創(きず)つけ創ろうとしたはずの波風がどこかへ運ばれるのを願って、この本を刊行する。 》 あとがき 904頁

 読了。付箋が林立。長い旅をした気分。

 夕方ふと思い出して「絹本」を辞書で調べた。やっぱり「けんぽん」だよなあ。美大を出て美術を教えている方が「きぬほん」と発音してビックリ。私が間違っている? と一瞬思った。絹本/紙本(しほん)。「人絹(じんけん)」も知らないかも。本絹(ほんけん)/人絹(人造絹糸の略)。

 ネット、うろうろ。

《 今、閑散が進んでいると噂のイオンモール名古屋みなとに久しぶりに来てみましたが、これは…… 》 Series3R
 https://twitter.com/Series3R3703/status/1103568541213589504

 隣の沼津市に「ららぽーと」が建設中。昨夜その横を通ったが、巨大だわ。

《  ガールズ&パンツァーは戦車だと怒られてしまいますが、
  パンティ&ストッキングWithガーターベルトは100%下着なので安心です 》 脳さぎ
 https://twitter.com/Leporinae/status/1103945412686147586

《  いざなぎ景気 57ヶ月 1965年11月から1970年7月までの57か月間
  いざなみ景気 69ヶ月 2002年2月から2007年10月までの69ヶ月間
  いかさま景気 74ヶ月 絶賛継続中 》 ネットゲリラ
 http://my.shadowcity.jp/2019/03/-57-1965111970757-69-2002220071069-74.html

《  告白は一瞬
  後悔は一生 》