閑人亭日録

細雪』六

 谷崎潤一郎全集 第十五巻『細雪中央公論社1973年普及版初版、「下巻」を読んだ。『細雪』全篇読了。感想は……何とも言えない。で、辞書を引いた漢字の”孰”。 今になって読み方に気づいた。いずれ、だ。部首が”子”とは。それは考えなかった。まだわからない漢字は、上が”日”で下が”月”というもの。

《 又ひとしきり強くなり出した雨を”(日と月)”して、再び線路の上を進んだ。 》 「中巻 五」

 気になった遣い方。

《 どうやら直りかけたのは入梅に這入ってからであつたが、 》 「上巻 二十一」 冒頭

 面白く思ったのは、”栖鳳の鮎の軸が掛つてゐるのを見た”(中巻 十五)、”「新青年」の探偵小説の挿繪などにある、矮小な體躯に巨大な才槌頭をした畸形児、” (中巻 三十)、”壁に小出楢重の小さな硝子繪が一枚懸けてあるだけで、”(下巻 二十)など。
 流麗な文章に乗せられて滞ることなく読んだが、なんだかなあ、という他人事のような気分は最後まで拭えなかった。連想したのは川端康成の『山の音』。方や芦屋、 方や鎌倉。どちらにも馴染めなかった。『細雪』とほぼ同じ時代背景の長編小説、野間宏『青年の環』は、『細雪』よりも遥かに長大だけれども再読しても面白かった。 『細雪』は、『山の音』同様再読しないだろうなあ。未読だけれど、島崎藤村の長編小説『夜明け前』はどうなのだろう。いずれ読もうとは思っている。

 朝、源兵衛川中流、下源兵衛橋上流で茶碗のカケラ、ガラス片などを拾う。重くなって終了。両側の石壁のヒメツルソバを抜く。帰宅。一汗。コーヒーが美味い。
 午後、朝の作業で気になった、石壁から出ているハーブを抜きに行く。土嚢袋二袋にギュッと詰める。気が済んだ。ふう。
 昼過ぎ一休みしたから、と思って作業をしたけれど、帰宅してしばらくするとクタ~。疲れを実感。段ボール箱から北一明の黒耀変の花生けを取り出して座卓に置く。 コーヒーを賞味しながらゆっくり眺めていると体が休まる。頭は動き始める。『細雪』に手を伸ばす。

 ネット、うろうろ。

《 原発事故避難者の数を少なく見せる 政府の統計のトリック これは「復興偽装」ではないのか?/烏賀陽(うがや)弘道 》note
 https://note.mu/ugaya/n/n9c58f9617b60

《 ほんとのところは「原発擁護は非論理的」ですけどね。 》 中野昌宏
 https://twitter.com/nakano0316/status/1106382642700705792

《 年間50冊ずつ増えると言ってドン引きされた、とか、マンガが1000冊ある部屋は地獄、とか、世間一般の皆さんとの感覚のズレに震える。 》 日下三蔵
 https://twitter.com/sanzokusaka/status/1106500020935626752

《  他者として情けなかった現実は、
  「勲章 」の類いで、金にならないので鍋かまと同じ扱い。
  国から表彰とか誰も覚えてないから。 》 hamatyu1161
 https://twitter.com/ogasuk/status/1106860711240556544