『別冊│現代詩手帖│第二号 ルイスキャロル』
昨日ふれた『別冊│現代詩手帖│第二号 ルイスキャロル』思潮社1972年を拾い読み。
加藤郁乎(いくや)のナンセンス詩「ありす元年」に微苦笑。その一部。
《 いつまでも少女すぎるのは
理婦人すぎるね 》
《 われ鍋とじるゆえに蓋あり 》
《 天を仰げば仰天しかない 》
《 男女は鏡学なのだというが
ハンプティ・ダンプティは
悪漢デブではなかったよ 》
《 童話には中休み
人格にはゼロックス 》
《 小父さんは小母さんの
空腹に出たりはいったりしているが
平均とか正統とかには
居留守でいる 》
この詩は意味がある無意味だろう。無意味ならばこの句だろう。
《 見な見ぬこんてんむつむすん地の極南 》 『句集牧歌メロン』仮面社1970年刊、収録
《 これは一体何だろう? こんてんむつむすんぢ。なにやら切支丹伴天連の奥儀書が記憶の底から蘇るが、そうかといって妖法伴天連の呪文が解けるわけではない。 そもそもこれは日本語だろうか? いや、言語だろうか? 》 『加藤郁乎詩集』現代詩文庫45、思潮社1971年刊収録、種村季弘「卵生の狼少年」より
『キリシタン版エソポ物語』角川文庫1989年2刷、初めのほうの文。
《 惣(そう)じて、人は実もなき戯言(たワむれごと)には耳を傾け、真実の教化(けウか)をば聞くに退屈するによつて、 》 16頁
昔も今も変わらんなあ。
昼前、源兵衛川中流下流をゆっくりお散歩。数か所でヒメツルソバなどを見つけてしまう。午後元気が出たので全部抜く。土嚢袋半分ほど。やれやれ。軽く汗。 お疲れ~。
ネット、うろうろ。
《 水の上を歩くにはどうすればいいか。一歩踏み出して、その足が沈む前に次の一歩を出せばいい。そうすれば水の上を歩くことができる。
……いや、嘘だろ?でも、中原昌也がやっているのはそういうことだ。放たれた瞬間意味に沈もうとする言葉を、次の言葉が否定することで、 無意味の表面を歩き抜ける。 》 +M
https://twitter.com/freakscafe/status/1111804854161149952
《 このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】 》 テレ東NEWS
https://www.youtube.com/watch?v=J9_6FipHS20
《 ある日突然自分の建物を他人がショベルカーで破壊しても「建造物損壊」にはならないのか? 》 Gigazine
https://gigazine.net/news/20190329-gigazine-destruction/
《 新元号、"みちてひかる"で満光(まんこう)とかどう? 》 めろ
https://twitter.com/Melo_inu/status/1111614494180933632
《 別に新元号がどうなろうとなんでもいいが、勝手に決められた名前で呼ばれることになる新天皇が不憫でならぬわ 》 Kiichiro Yanashita
https://twitter.com/kiichiro/status/1111511964264480768
《 「新元号はありません」
官房長官が告げた瞬間、記者たちにどよめきはなかった。そうか、やっぱりそうだったのかという安堵だけがそこにあるかのようだった。
「五月から先はありません。そこが時間の終わりなのです。では、さようなら」
そう言った長官もまた、奇妙な安堵に包まれているようだった。 》 大西科学
https://twitter.com/onisci/status/1111445188424003587