閑人亭日録

『椿の海の記』三

 石牟礼道子『椿の海の記』朝日新聞社1976年初版を少し読んだ。「第四章 十六女郎」。

《 朝晩使う鍋のつるをかかえて川端にゆき、川の流れに漬けながら、鍋の墨を磨きおとすので、鍋の中にはくどの下の灰や手づくりの藁だわしを入れて持ってゆく。  》 83頁

 三島でもその昔、洗濯物の濯ぎは源兵衛川の川端でやっていた。かがんだ割烹着から百円札が落ちて流れてきた。

 「第五章 紐とき寒行」を読んだ。

《 栄町の通りを、日に何回となく青竹を曳いて往ったり来たりする盲目の老狂女の、その竹の杖を、銭湯帰りの末広の妓たちが、二、三人で曳いたり背中を撫ぜて やったりして、連れて帰って来てくれることがときどきあった。 》 106頁

《 わたしの小さい頃の大人たちが使いわけていた「正気人」と「神経殿」という言葉のニュアンスはおもしろい。気ちがいの方に殿をつけ、自分たちを正気人という。 俗世に帰る道をうしなってさまよう者への哀憐から、いたわりをおいてそう云っていた。そのころの、ふつう下層社会の常人は、精神病患者とか冷たくいわずに、 異形のものたちに敬称をつけて、神経殿とか、まんまんさまとか云っていた。 》 110頁

 朝、源兵衛川最下流部へ。茶碗のカケラ、ガラス片などを拾う。流れてくる花びらは減ってきた。ゴミも減ってきた。重くなったので五回目を終了。汗。帰宅。 コーヒーが美味い。
 午後用事を済ませ、昼寝。昼寝はいいねえ。

 ネット、うろうろ。

《 源兵衛川は素晴らしい 》 JOE ALCOHOL
 https://ameblo.jp/joealcohol/entry-12453530021.html

《 新500円玉、結構でかいな。 》 yasu (HIRATA Yasuyuki)
 https://twitter.com/hirayasu/status/1115427696555610112

 財布に入らんと文句言っている人がいた。

《 駿河湾の濁り、人工衛星でも確認 石坂名大教授が分析 》 静岡新聞SBS
 https://www.at-s.com/news/article/topics/shizuoka/621008.html

《 なんにもない真空状態に、ぽつねんと壺が在ったのだ。
  それはほとんど運命と呼んでいいだろう。
  私はそういう人生を、何故だか信じている。
  さあーっと辺りが薄暗くなって、陽はかげってしまった。つい今しがたまで生命を噴き上げていた壺は、再び寡黙の世界に身を寄せて安らいでいる。 》 +M
 https://twitter.com/freakscafe/status/1116158795938291712

 北一明の『耀変花生(はないけ)』。

《 それでも僕は何かを選ばなければならない。選ばないことは選ばないことを選んでいるだけだからだ。故に、僕の基準は、僕を変化させる潜在的可能性へと 開いてくれた作品群となる。価値ではなく、未だ不可視の価値へ開かれているものたち。共に-変わっていくものたち。愛と誘惑、生と死の揺れ動きの中で. 》  上妻世海
 https://twitter.com/skkzm/status/1115855339998601216

《 結果として、大切になるのは誘惑への感度であり、誘惑の中で生と死の不安定なリズムを乗りこなす実践である。僕が学んできたのは読書を通じてというよりも、 女性に教えてもらったことの方がはるかに多い。僕は常に何もわかっちゃいない準-個体として、翻弄されながら、その只中で知る。事後的に。 》 上妻世海
 https://twitter.com/skkzm/status/1115856693697687560

《 述語的統合を可能にするには未規定性に開かれなければならない。瞬間的に言葉で説明可能なものはすでに反復されたことがあるものだけである。 そうでない領域(賭け)においては、すべては未規定のまま、分からないという不安を抱えながら進むことになる。しかし、その場所こそが制作的空間なのである。 》  上妻世海
 https://twitter.com/skkzm/status/1115858355824799747

《 制作であれ、愛であれ、死への欲動であれ、少なからず無意識とかかわる情動については、つねに/すでに為されていることとして視なければ、 観念的にヴィジョン化されてしまう誤謬におちいる。それを〈しない〉ことの不可能性は、あらゆる欲動に、つねに/すでに表れている。 》 中島 智
 https://twitter.com/nakashima001/status/1115651479472230400

《 安倍首相は「任命責任は私にある」と言った後、「お詫びします」と言って終わりにするのが常なのだが、「責任を取る」というのは、 お詫びすることじゃないということを、誰かこの64歳児に教えてやってほしい。 》 m TAKANO
 https://twitter.com/mt3678mt/status/1115985692239089664