閑人亭日録

『椿の海の記』五

 石牟礼道子『椿の海の記』朝日新聞社1976年初版を少し読んだ。「第八章 雪河原」。

《 そのような無意識の衝動は、もとの生命のありかを探しあるくいとなみでもあったろう。とどきえない生命の、遠い祖(おや)のようなものは、かの観念の中の 仏さまとは、かなりちがっていた。 》 204頁

《 この世の裂けめの縁をうつろいつつ、空のはててにむけて、とつぜん靉靆(あいたい)としてなびき出すような、靄の精にでもなったような時季が訪れた。 》  210頁

《 彼方の山々は靄をかつぎながら、曇天の奥に定からぬ欝金色の陽がかかる。そのような陽の下の春の海は、天のかげりを宿して沈んでいた。 》 212頁

 「第九章 出水」。

《 十粒も、十五粒も寄って一房になる果実が、たわわに重く熟れてくるにつれて、枇杷の木の、どのような細い枝の間にもかすかな亀裂が生じはじめ、その亀裂から にじみ出る樹液のかたわらを、蟻たちが蝶の羽根などを運びながら、静かな列をつくって登り降りしていた。 》 214頁

《 枇杷の枝の亀裂のかたわらを通る蟻の道を、じいっと覗いていれば、生れぬ前のいのちのおののきのようなものが、そのような木の肌の裂け目の奥から伝わってくる ようで、わたしは息をのんでいた。揺れる果実の薫りを慕って、蜂たちが光の中を飛んでくる。その枝の間から海がみえる。島がみえる。町がみえる。水俣川がみえる。 大廻りの塘がみえる。五月の陽光は眩しすぎ、みえすぎる。 》 219頁

 朝、友だちからメール。”はれたね!だからと言って、じいじは、水遊びしないようにね!”。茶碗のカケラなどは拾いませ~ん、と源兵衛川最下流部へ。 川周辺のヒメツルソバと少しばかりのヒナゲシを抜く。土のう袋二袋にぎゅう詰め。三島梅花藻などにどっさり付着したアクを棕櫚箒で除去。鮮やかな緑に。 燕がかたわらをすーっと滑空していく。汗ばむこともなく帰宅。コーヒーが美味い。
 午後はぼーっと過ぎる。昼寝の後、晴天にいざなわれて北一明の焼きものを鑑賞。詩人安東次男の1974年の文章にうなずく。その一部。

《 しかし、伝統的な用の考えの上にあぐらをかき、あるいは使ってほしげな外観を持った焼物があまりに多い昨今、釉は釉、素地は素地と割り切ったこのさめた認識は 珍重にあたいする。(中略)そこから生れてくるものに私は期待を寄せるのであるが、先にも言ったとおりそれがいずれ新しい用をわれわれに強いることになるのか、 それとも抽象彫刻の一分野を開拓するのか、じつのところ私にもわからない。一つの物体にいろいろな施釉技法を併用して作られた北君の抽象陶芸が、従来に見られない 造形の魅力を見せてくれていることだけは、このさい是非とも一言しておく必要がある。 》

 ネット、うろうろ。

《 死が近づく中で… 執念の研究 》 NHK
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190412/k10011881571000.html

《 極論として、仮に「作品に〈盗作〉判定があるなら、評価基準の〈盗作〉も糾弾していこう」と述べればわかりやすいかもしれない。「私有物に見せかける」 系譜よりも、「無主物として継承されていく」系譜のほうが本源的なのである。 》 中島 智
 https://twitter.com/nakashima001/status/1116935199902748672

《 「一億総活躍社会」「地方創生」「女性が輝く社会」「待機児童ゼロ」「非正規という言葉をなくす」「介護離職ゼロをめざす」「意識改革」「規制改革」 「働き方改革」「人づくり革命」「生産性革命」……この残骸の山をなんとかしろ。「幼児教育無償化」が動いたかと思えば消費増税とバーターだし。 》 津原泰水
 https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1116809840406360064

《 結局ワシらの税金が露と消えた。そして毎度のことだが経産省の誰も責任を取らない 》 獅子神タロー
 https://twitter.com/uso800_sisigami/status/1116943739946037250

《 本片付け始めてるんだけど驚くほど「人生でもう一度読むかあやしいが手放したくない本」がある 》 えいち・えむ・えす・ゆりしー
 https://twitter.com/hms_ulysses/status/1116951015197003776