『運命論を哲学する』八
入不二基義・森岡正博『運命論を哲学する』明石書店2019年初版、「第4章 運命と現実についてもういちど考えてみる 森岡正博」を読んだ。
《 私たちは、言語のある種の極限状況にまで来ている。 》 208頁
《 入不二の問題提起の仕方は、現代の英語圏の形而上学とは異なっている。具体的には、「可能主義」「現実主義」「このもの主義」という三つの立場による 枠組みからは良い意味で逸脱している。入不二の現実性の哲学を英語圏の形而上学に還元させて理解しようとするのは良くないし、将来の可能性を開かない。 》 241頁
《 ここにおいて、森岡の考え方は入不二と袂を分かつことになりそうである。というのも、入不二にとって「現実」とは「それが全てでそれしかない」ものであるが、 森岡の言う「実在視点」から開けてくる「存在世界」は「没現実」であり、「現実」のさらに外部にあるものである。したがって「現実」とはけっして「それが全てで それしかない」ものではない。「現実」には「没現実」という外部があり、「現実」はそれを取り込めないのである。 》 256頁
四角いマット、丸い土俵、盤上の熱戦を間近に観戦しているような迫力。呆然と傍観するのみ。
朝、3日の続き、大通り商店街までの源兵衛川の茶碗のカケラ、ガラス片をほぼ拾う。ここは今期は終了。一汗。コーヒーが美味い。
ネット、うろうろ。
《 カフェで、しこたま甘いものを詰め込んで、コーヒーをぐびぐび飲もうという巨大な野望が、お店がどこもGW明けの臨時休業という現実の前に挫折した。 》 赤城毅/大木毅
https://twitter.com/akagitsuyoshi/status/1125635495575207936
同じく。
《 「佐川です。お届け物が有るのですが字が読み辛くてお宅の住所が分かりません。申し訳ないですが名前と住所を改めて教えて貰ってもよろしいでしょうか?」 という電話は宅急便を装って電話番号から名前と住所を聞き出す詐欺だから「送り主に聞いてください」と断ればOK。 》 愛猫はポチ
https://twitter.com/poti1974/status/1125389538317045760
《 僕は荻世いをらさんの「彼女のカロート」にものすごく衝撃を受けて、何度も読み返し、そのたびに驚嘆しているのだが、ネットで感想を見る限りでは、 まったく、まーったく何も理解されておらず、びっくりする。荻世さんの仕事に関してはいつか何か書かなければならないと思う。 》 千葉雅也
https://twitter.com/masayachiba/status/1125638170362535936
荻世いをら『公園』河出書房新社2006年初版をもっているけど未読。未読ばっか。
《 アーティストに陶芸を仕込む企画をやっているのだが、全員90%遅刻してくる 》 宮下サトシ
https://twitter.com/aCki5WYpZuUFtjC/status/1125260282920558597
あらためて現代美術家村上隆のインスタグラムの文章を読む。
《 僕は15年ほど前から生活工芸系の陶芸にはまりました。(中略)陶芸を愛する、と自称する客の金の使い方、審美眼、 芸術と人生との距離感、など、 本当にあるレベルを超えているのか?という疑問と、超えていない現状を客観的に判断して、断罪する勇気が必要な のではないか、と思うのです。
同時に陶芸家に対してもキチンとした評価を下しても イイと思ってます。其れが厳しい批評であっても。ではその評価軸、設定されるレベルとはなにか。
https://www.instagram.com/p/Bwf2Uz_F5jX/
15年ほど前には北一明の個展はもう開かれていない。
《 「お友達は日本だけ」? 米軍の地位協定、日本と欧州ではこんなに違う 》 沖縄タイムス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190507-00416418-okinawat-pol
《 これまで令和時代ずっと生きてきたけど覚えている限り平日なんて一度もなかったし、令和の伝統と前例にならってずっと休日にすべきじゃない?? 積み重ねてきた時代の風習を軽んじるのは現代人の悪弊では? 》 たけおり
https://twitter.com/takeori/status/1125368842476146690