『世界の中の日本絵画』対話篇続続(閑人亭日録)

  高階秀爾平山郁夫『世界の中の日本絵画』美術年鑑社1994年初版、二人の対話を読了。

《  高階 ええ。それから、水墨の場合「おかしみ」の要素もありますね。水墨の線というのは、西洋のデッサンとは違って、鉛筆では引けない線ですね。ちょっと かすれていたり肥痩もありますし、線自体の持っている表現力というものが非常によく生かされている。そういう意味では、いわゆる鉛筆デッサンとはまるで違った 価値があって、これは色彩も含めてそうだと思いますが、日本美術の中では表現手段自体が価値を持っている、ということがいえるのではいでしょうか。
  つまり西洋の写実というのは、いかにして実在感を出すか、ということを考えていた。(中略)《鳥獣人物戯画》になると、もう絵は絵自体の持っている美しさ、 線なら線の美しさをすでに持っているわけですね。装飾についても同じようなことがいえると思うんです。(中略)
  平山 一本の線を引かせれば、その人の人格まで出るという考え方が日本にはあるんですね。(中略)
  そういうものが外国へ出た場合、今度はどう評価されるか、という問題ですね。これまでヨーロッパなどにはない世界ですから、この点をどう説明するかが、 これからの課題ですね。 》 70-71頁

《 平山 ええ、そうです。うまい人はたくさんいるんです。書の場合も、同じようなことがいえますね。かたちのいい字を上手に書くんだれども品がない、あるいは 書として、かたちはアンバランスなんだけれども、どこか味わいがあって、品がある、というようなことがあるわけです。これは油絵でもなんでも同じようなことが いえるかもしれませんね。
  ただ、それが単純な線描き、たとえば《鳥獣人物戯画》みたいな線描、あるいは平安時代の白描に近いようなものだと、それが顕著に出てくるということですね。 塗るのはある程度ごまかしが効きますが、線の場合は直接的に出てきますね。ですから相当に鍛えた人の線だなとか、感覚的にも才能的にも相当教養の高い人の線だな というのは、もうひと目でわかりますね。 》 71頁

 漫然と読んでいて覚醒。うなずくことしきり。

《 高階 西洋ではリアリズムでなければ抽象画になってしまうわけですが、写実でもない抽象でもない、その中間のところで、日本は非常に自然に近い表現を 生み出してきた。 》 113頁

 午前一時25.1℃湿度87%。午前六時24.3℃湿度83%。午前八時22.9℃湿度89%。正午22.3℃湿度95%。真夜中より涼しいとは。

 雨音を耳にしながら北一明の回顧展を夢みる。いろいろな題が浮かぶ。「陶芸の極北」「炎の造形」「陶芸の宇宙」。うーん、ピンと来ないなあ。それよりも仕掛け。 小原古邨のようにメディアと組んだ仕掛けが大事。時期尚早か。だなあ。

 ネット、うろうろ。

《 人間から諦めることを奪ったら、何か可能性を実現して喜ぶこともまたなくなる。 》 千葉雅也
  https://twitter.com/masayachiba/status/1144806302062788608

《 「そんなことして一体何の役に立つのか?」と言う人には、「何の役にも立たないことを楽しまなくて、どうやってこの長い人生を生きていくのか?」と問いたい。  》 大野左紀子
  https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1144529939074469889

《 怪奇幻想小説の入門書/風間賢二 》 web中公新書
  http://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/112560.html

《 闇営業や詐欺師グループの記事を読んでいて心配になっだのだけど、僕も人を騙して手に入れたお金で生活している……。 》 道尾秀介
  https://twitter.com/michioshusuke/status/1144744113926881282