『道元との対話』五(閑人亭日録)

  岩田慶治道元との対話 人類学の立場から』講談社学術文庫2000年初版、「第5章 道元と現代文明」を読んだ。「第4章 道元の宇宙」よりばるかにとっつきやすい。 理解できたかは別。気になった文言から。

《 道元の言葉は形に転化しようとしていると前に述べたが、それは言葉と言葉のうちにひそむ人工の時空を排除し、言葉と言葉をつなぐ人工の論理を切り捨てよう、としたからであった。ものがものに対面し、形と形とが対峙する。そういう世界──それを脱落世界といってもよいが──を成り立たせている知のあり方を求めようとしたからであった。 》 308頁

《 人間が、自分のつくった文化のフィルターを外すことは、自分の眼そのものを千切って捨てるほどの痛みをともなうのである──。 》 309頁

《 見えない世界を見る眼、そのための視力をどのようにして身につけるか、そこが大切なところである。 》 316頁

《 一とニの対決──ニが一に戻り、一からニが生まれる──、あるいは、〈柄〉と〈地〉の相関──〈柄〉が〈地〉になり、〈地〉から〈柄〉が創造される──にたいする人間の視点のありかたが、すべての文化の核心によこたわっていた。 》 321頁

《  こういう最もふかい場所が、科学的分析の対象にはならないけれども、われわれを、万物共存の世界を支えているのである。
  われわれは日頃、こういう世界の存在について考えることがない。考える手がかりがない、といってよいかもしれない。しかし、考える手がかりがないから、もともと そういう場所は無いのだといってはいけない。その場所を切り捨てては困る。 》 328頁

《 文明といえばいかにもカッコよいけれども、よく考えてみると、それは人工的な、幻想の時空の上に組みたてられた構築物なのである。突きつめていえば虚構である。 人類史三千年の虚構、そういってもよいのかもしれない。 》 335頁

 『道元との対話 人類学の立場から』読了。

 ネット、うろうろ。

 ギリシャの歌姫 Marianna Polychronidiの”ISTORIA MOU”を視聴。いつも思うのだが、ゲストのオヤジ、マダムたちに日本の有名人の誰それを連想してしまう。
  https://www.youtube.com/watch?v=m8NYvltsVxU&feature=related

《 「われわれ人間はおそらく自分が考えるほど特別な存在ではないかもしれない」サイエンスはずっとこのことを明らかにしつづけてきた。 地球は宇宙の中心ではなかったし、太陽系もごくありふれた星系だった。そして、人類はほかの動物と比べてもさほど特別な存在じゃない。これはすばらしいことだよ。 》  isana
 https://twitter.com/lizard_isana/status/1149467298987565056