『石川九楊のほんとうに書がわかる九つの法則』(閑人亭日録)

  昨日購入した石川九楊石川九楊のほんとうに書がわかる九つの法則』芸術新聞社2019年初版を読んだ。

《 技術的に優れていても、つまらない書があり、その逆もある。うまい、へたに捉われていては、その先へ進めません。その先には、書は「どのように書かれているか」、 その表現(書きぶり)を鑑賞する世界が広がっています。 》 10頁

 うれしいことを言ってくれるわ。

《 書は一点一画を基本の単位とするもの。 》 20頁

《 文章、文字を書くとき、筆先が紙に触れる。筆先が紙に触れたとき、書き手は筆先と紙との間の筆ざわりでである触覚を感じる。(中略)したがって一点一画を 触覚的にどのように書き進めていくかが、書の一番の基盤であり、書の生命です。 》 22頁

《 ただの白い紙切れが表現世界に転じたのですから、あくまで主体は白い紙切れの側つまり余白の側にあります。したがって余白をどのようにつくりあげるかに書は 生れ、紙面上の余白を見ることによって書の表現の如何を知ることができます。 》 52頁

 とっつきにくい書の鑑賞法と書き方がわかる本。目から鱗が落ちるような発見は私にはなかったけど、基本的な入門書として使える。四半世紀前、北一明に依頼されて 書いた《 創造の「書」「書」の創造 》は、北一明カレンダー1994年版に掲載された。頭を絞ってニ、三週間かけて仕上げた記憶。その一部を再掲。

《 「書」は、知情意の鋭くも鮮やかな美の統一体である。すぐれた「書」には、成形の美、構成の美に加えて一回性の、精神の運動美が見事に表現されている。その美は、 書道練達の心技体に、作家の美意識が折り込まれ、織り上げられて、一本の筆から紙上に描き出されたものである。その「書」が今日の芸術として有効であるためには、 既成の美とは異なる美、または先達を超えた美が、先ず実現されていなければならない。
  作家が芸術としての「書」を創造しようとする時、その達意の技を前提に、二つの課題がその人に対して課せられる。ひとつは対象の文字、例えば「道」に対する その人の認識の深さである。もうひとつは、筆によって「書」を成すという表現行為への認識の深さである。この二つの認識を基本に、作家の芸術思想が形成され、 「書」が創造される。その芸術思想の深さは、他ならぬ「書」そのものによって明らかにされる。
  それに並行して、作家は「道」を徹底的に分析する。実体として「道」を成立させている墨、紙そして筆という三位一体の相関関係を、作家は逐一詳細に検証する。 「道」表現における筆の種類、紙の質そして墨の粒子の細かさと水との馴染み具合等が、科学的精神に基づいて実証的に研究される。
  「道」は、墨蹟の一粒子の単位まで分解され、解析される。それだけでなく、その本質を失う無意味の境界線上にまで還元される。そこでは「道」はその文字の本質に よってのみ、かろうじて「道」であり得ている。
  その実体と歴史的構造の桎梏を、徹底的に解体され解放された「道」は、作家の芸術思想に従って再構成再構築される。「道」は全く新たな表現構造をもった「道」へ 創造される。 》

《 「書」の根源を見極めることは、必然的に遙かなる古代文字の成立の現場へ行き着く。そこは象形文字という、漢字の歴史の誕生の場である。そこは、自然界の 有象無象の脅威を前に、それに敢然と立ち向かう人間の認識の武器として、無から有(文字)を創出させようと試みる人間の、熱い意志の壮大なる現場でもある。 その現場を自らの手で再検証再確認した者によってのみ、「書」の新たなる歴史創造が成されるのではなかろうか。あるいは歴史創造の大いなる要因であろう。
  二十世紀末の今日、溢れる言葉を一旦無に帰すことは、実に困難なことであるけれども、既成の言葉では最早表現し尽くせぬ、言葉もない事件の連続が、この二十世紀 である。今こそ、新たなる言葉(表現)が切に求められている。巨大な脅威と悲惨に言葉を失うこの時代こそ、新たなる無から新たなる有の創出が求められている。 その有からのみ、二十一世紀へ繋がる新しい世界像が生まれ、新しい歴史が刻まれてゆく。 》

 朝カーテンを開けたらベランダにクマゼミが転がっていた。きれいに組まれている六本の手足。遠くからクマゼミの合唱が湧く。合掌。

 ネット、うろうろ。

《 〈0時から5時まで〉 》 風間サチコ
  http://kazamasachiko.com/wp-content/uploads/2019/07/IMG_1559.jpg

 画像には『現代詩手帖』1969年12月号。新刊で購入。もってるぜい。中村宏の表紙絵が印象的。特集「現代詩年鑑'70」ではアンケート「今年の代表作」も興味深い。 岩成達也、渋沢孝輔吉増剛造唐十郎らを複数が挙げている。面白いのは金井美恵子。宮川明子、岩成達也、入沢康夫の三詩人の他に野坂昭如『骨餓身峠死人葛』、 なかにし礼『恋の奴隷』。その評から。

《 宮川、岩成、入沢の三氏については今さら、雑誌恒例の年末を飾る年中行事の中であわてて言ってみることもないし、野坂昭如についても、事情は変わらない。(中略) なかにしの『恋の奴隷』は戦後歌謡曲史上に残る傑作であり、あなた好みの女になりたいという言葉は、岩谷時子の「好きと一ことあなたから言ってほしい女心」( 島倉千代子の歌った「本気かしら?」)を軽く凌駕して、その対極に「こんな女に誰がした」(「星の流れに」)という言葉をおく時、わたしたちは戦後という歴史の、 時代の反映の暗黒部を支えている意識と直面してしまう。『恋の奴隷』は限りなく恥しい歌であると同時に、なかにし礼の一種ヤケッパチな「好きな時にどうぞぶってね」 という脅迫というか居直りは、今年流行ったフォーク調の歌どもを顔色なからしめる。これを、あなた好みの女になりたいと、女が取りすがっている歌だと思ったら、 大間違いである。 》 64頁

 半世紀前から直言女史だ。これが書かれたのは戦後二十五年。平成の三十年を思う。

《  アレクサ、近くの投票所の場所を教えて!

  京都場外勝馬投票券発売所 43.3Kmです

  ちがーぅ!  》 三郷まみ
  https://twitter.com/MamiMisato/status/1152705829881053184

《 アメフト、体操、山口敬之、ジャニーズ、レプロ、バーニング、NGT48運営、森友加計、吉本、この2、3年でどれだけの個人が組織や体制の不正を告発し、 潰されてきたか。ひどいことになってるよ。で、贈賄五輪だぜ。 》 町山智浩
  https://twitter.com/TomoMachi/status/1152491249070301185

《 アベ、維新、吉本。あと一発で満貫やなあ。テレビの人らはなかなか気を滅入らせてくれるなあ。 》 江 弘毅
  https://twitter.com/kohirok/status/1152599600710033410

《 一社ひとつしか質問できないんでしょ。みんな今聴きたいこと、それなのか? 》 古書現世
  https://twitter.com/wamezo/status/1152474733444603904

《 猥談バー、今夜のベスト猥談です 》 ポインティ 猥談バー店長
  https://twitter.com/waidanbar/status/1152622189952167936