岡井隆の某歌を探して岡井隆歌集『鵞卵亭』六法出版社1975年を開き、最初から目を通す。終わり近くで見つける。
ひぐらしはいつとしもなく絶えぬれば四五日は〈躁〉やがて暗澹
ふと気づけば蝉の声は耳にしなくなった。まだ真夏日なのに。陽射しが傾いた午後、自転車で郊外の稲穂垂れる田圃道を走っていて聞こえたツクツクボウシの声。 この夏最後の蝉の声かな。
以上簡潔に手ばやく叙し終りうすむらさきを祀(まつ)る夕ぐれ
歌はただ此の世の外の五位の声端的にいま結語を言へば
「あとがき」から。
《 もはや青年の心を動かす文学は成就しがたく、ありていに言って数人の友人知己に見せるだけの私歌集なのだ。 》
友だちも見ていない拙ブログは、自身の文章鍛錬目的で書いている。効果は不明だが。画像なし。ツイッター、フェイスブック等には手を出さない。
ネット、うろうろ。
《 八月の濡れた砂/石川セリ 》 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jtE9Q28wTjM
夏の終りに聴きたくなる歌。昔はシングルレコード盤で聴いていた。そのレコードは今もある。
《 1922年の今日は日本の小説家、中井英夫が生まれた日です。三大奇書とされる代表作の『虚無への供物』が有名です。 》 愛書家日誌
https://twitter.com/aishokyo/status/1173735833763012609
その9月17日、入院先へ見舞いに行き、持参した『人外境通信』講談社文庫にサインをいただいた。その年の12月10日夜逝去。その時は『虚無への供物』の幕開け。 暗合。往事茫々。
《 渋谷駅新ビル、畑違いの男が生んだ「目玉施設」 /大坂 直樹 》 東洋経済ONLINE
https://toyokeizai.net/articles/-/302760
《 この構図は、「文化が定着する」というときの多くの構図に当てはまることであって、新しい才能が登場して「新鮮だ!」と歓迎されても、 やがて飽きられ(いわゆる「40歳の壁」)、それを経て、本物だけは、やがて定着していく。 》 布施英利(ふせ ひでと)
https://twitter.com/fusehideto/status/1173419757992759296
《 他日話したことの反復だけど「近代美術」は、大量殺戮としての世界大戦の時代であった近代の美的イデオムだ。アフリカ大陸の国境線とモンドリアンの絵画は 「似ている」のではなく「構造的に同じ」。「純粋化」という言葉が、どういう結末を導いたかを意識しないで「現代美術家」であることはできない。 》 永瀬恭一
https://twitter.com/nagasek/status/1173402140552785921
《 今年あたりからはっきりそう思うようになったのだが、思弁的実在論以降というか近年の実在論的転回の流れにおいて、あらためて「人間とは何か」、 「言語とは何か」が問われねばならないフェイズがやってきつつあると思うん。人間中心主義や言語中心主義を批判し尽くした後での、「ところで」。 》 仲山ひふみ
https://twitter.com/sensualempire/status/1173225897446408192
《 今の日本、安倍政権の言動、マスコミ記事をそのまま20年前の人がタイムマシーンで来て見れば、バック・トゥ・ザ・フューチャーの狂った未来そのものだよ。 頭がイカれたからそれが見えないなんだよ。 》 sparkle
https://twitter.com/Dufferin_Clark/status/1173229766150959104
《 「国民を守る」森羅万象総理さ~ん、出番ですよ~!
どこに行ったんですか? 》 春橋哲史
https://twitter.com/haruhasiSF/status/1173703796179922944