『空間へ』ニ(閑人亭日録)

 磯崎新『空間へ』美術出版社1979年8版(1971年初版)を少し読み進める。

《 私たちには固定化し動かし難い空間は必要がない。《うごき》《かさなりあい》《からみあい》《のび》ていくような空間こそが、求められるべきである。 》  「現代都市における空間の性格」 60頁

 哲学の最新の動向を先取りしているような。例えば清水高志の下記のツイートにどこか関わってくるような(門外漢の)予感(勘違いだろと言われそう)。

《 十二支縁起の逆観、還滅門の発想は、そもそもこうしたバイナリーな対にたいして「Aがなければ非Aもない」という発想を採ることだ。このとき、 作用体は部分的状況ではなくなる。つまり相互に間接的に包摂、被包摂がneitherで世界があるという、一即多、多即一の宇宙の開示、そうしたものとしての自己の 》  清水高志
  https://twitter.com/omnivalence/status/1185187831964041216

《 目覚めとなる。情念の問題、その超克からこうした世界へと向かおうとすることもできる。 》 清水高志
  https://twitter.com/omnivalence/status/1185187833989910530

 椹木野衣『震美術論』美術出版社2017年初版、「溺れる世界と「ソラリスの島」」の章を再読。磯崎新の建築思想が論及されている。思考にぐっと食い込んでくる。

《 西新宿はいまでこそ超高層ビル群とツインタワーの東京都庁舎で知られるが、それを設計した丹下健三は、かつて磯崎ら若い建築家・都市計画家たちを率い、 「お祭り広場」を含む「大阪万博」の根幹である「シンボルゾーン」を統括した張本人でもあった。その西新宿がいま、広場なき超高層という「墓標」の群れになって しまったことを考えると、たいへん皮肉な結果であると言える。 》 339頁

 この章は『空間へ』を読了後、もう一度よく読む必要がある。

 朝、昨日見つけたヒメツルソバ十株ほどを抜く。ついでに三島梅花藻の里へ寄る。この前あるのを見ていたけど、いざ見渡すとずいぶんある。土のう袋にぎっしり 詰め、予備のゴミ袋にもびっしり詰める。なんとか収まる。やれやれ。汗~。シャワー。大通りは午前11時からのハロウィーンの準備が進む。ヘンな姿恰好の 大人たちこどもたちがぞろぞろ歩いてゆく。
 一休み後友だちに頼まれた某幼稚園の運動会を参観。正午に終了。
 大通りはハロウィーンの装いでまあ賑やか、混雑。みんなどうだい!という扮装。誰もが楽しんでいる。大通り700メートルがお祭り広場に。
 知人から頼まれて友だちと三島梅花藻の里で車に同乗。静岡市へドライブ。午後五時過ぎ帰宅。コーヒーを淹れる。きょう初めてのコーヒー。旨い。

 ネット、うろうろ。

《  Norio Iriguchiさんの許可を得て、facebookから転載します。お読みください。

  「ごめんなさい。すべてウソでした。中止いたします。」

  ”「この時期の東京は...理想的な気候である」ウソでした。”
  ”「アンダー・コントロール」ウソでした。”
  ”「日本の五輪委員会(JOC)会長も」贈賄容疑”
  etc.  》 Koichi Kawakami
  https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1185433780317609985

《 東京の良さをアピールする五輪じゃなくて不便さをアピールする大会になりそうだな 》