『大岡信詩集 丘のうなじ』(閑人亭日録)

 谷川俊太郎編『大岡信詩集 丘のうなじ』童話屋2015年6月6日初版は布装の瀟洒な本。70篇ほどの詩が並ぶ、本文250頁のほどよい厚さ。4800円。
 『自選 大岡信詩集』岩波文庫2016年4月15日初版は、130篇ほどを収録。本文350頁ほど。紙質が違うが、本の厚さはほとんど違いがない。740円。
 一年と離れずに出版された精選詩集に収録された詩を見較べるのは・・・やっぱり(不遜な発言だが)面白い。名高い詩、「さわる」「マリリン」「丘のうなじ」 「地名論」「光と闇」等は双方に収録。それは措いて。『水府 みえないまち』思潮社1981年。『自選 大岡信詩集』ではその詩集の「調布」シリーズから 「調布 I 」「調布 II 」「調布 V 」の三篇が選ばれ、『大岡信詩集 丘のうなじ』では「調布 II 」「調布 V 」「調布 VIII 」「調布 IX 」の四篇が選ばれている。 収録数が少ない方に多くが選ばれている。で、『大岡信詩集 丘のうなじ』で双方に収録の「調布 II 」を読んだ。えっと目が止まる。第五連最後の行。

《  灰とは何ぞよ人間はば、骨ニキマツテヰルデハナイカ。  》

 『自選 大岡信詩集』では。

《  灰とは何ぞよ人問はば、骨ニキマツテヰルデハナイカ。  》

 「間」じゃなく「問」だよなあ。何を書こうとしていたのか一瞬に忘れてしまった。
 気持ちを入れ替えて。『自選 大岡信詩集』、三浦雅士の解説にやはり目が向く。以前の引用と重なるが。

《  大岡は、地名にまで包まれたい、つまりじかに触れたい、さわりたいのである。その癖が何に由来するのか、大岡自身知る由もない、つまり謎なのだが、その謎を 謎のまま提示しているのである。この謎に真正面から向き合ったのが詩「さわる」だが、そこでも「地名論」と同じ手法が採用されている。「マリリン」もそうだ。 三篇ともに傑作であり名作である。
  だが、大岡の他の詩との対比でいえば、三篇とも理が勝っているとも思える。(中略)しかしつらぬく論理は明瞭であって揺るぎがない。突きつめれば、読むものは その論理に打たれるのであり、ここでは詩人の手腕はむしろ批評に仕えているのだ。(中略)つまり、名作というほかないこれら三篇は、批評をもって詩の核心として いるのである。 》 379-380頁

 私はややはり、大岡信は批評の人であった、と思う。

 朝、知人夫婦の車に同乗、山中湖、河口湖へ紅葉見物に出かける。秋天のもと、紅葉は今を盛りと陽射しを受けて燃えるよう。冨士山は、仰ぐ位置が午前午後と変るに つれて全く異なった威容、異様を見せる。三島からとはえらい違い。河口湖畔の広場で奥さん手作りの昼食。渋滞もなく午後四時前帰宅。
  午後八時八分 揺れた。

 ネット、うろうろ。

《 「開場前」に、自分の後援会だけを特別に中に入れて写真撮影。これが「私物化」でなくて何なのか。何が「テロ対策で予算増」なのか。 何が「たまたま各界の功労者が地元にいた」なのか。この総理には嘘しかない。これ以上、世界に恥を晒すべきではない。もう十分である。 》 小沢一郎(事務所)
  https://twitter.com/ozawa_jimusho/status/1195840120504516609

《 ちょっと、NHK、狂ったか

  「アベノミクス」礼賛が始まった

  最初に出て来たのが、甘利 》 buu
  https://twitter.com/buu34/status/1196008818439675905

《 既存のニュースメディアとネットでは事実報道にもその評価にも「千里の徑庭」が生じつつある。個人がどの「チャンネル」を選ぶかによって見える世界像が変わる。 こんな無秩序は『1984』さえ想定していませんでした。これからはメディアリテラシーが生き延びるための最優先の能力になりそうです。 》 内田樹
  https://twitter.com/levinassien/status/1195844287495147520

《 繰り返し述べなければならないことは、藝術は「新しさ」として評価される向きがあるけれど、本質的に「古層の思考」なのだということ。 そしてそれは自我が「表現した」代物である以上に、Es が「引き受け、表れた」ものであること。藝術のわからなさや有意性は、この次元にある。 》 中島 智
  https://twitter.com/nakashima001/status/1195643252226945024