『生の昂揚としての美術』三(閑人亭日録)

 大岡信『生の昂揚としての美術』大岡信フォーラム(花神社発売)2006年初版、「生の昂揚としての抽象絵画」1972年初出を読んだ。これは熱い。

《 当然、ひとつひとつの作品は、ある連続的な精神の「過程」の一断面という性質をおびるだろう。それはたえずより高いところへ向かって動く一連の精神の運動の、 現在という名の突端にあるが、この突端はいずれ過ぎ去って、「一つの」過去となるはかないものなのである。すなわち、現在は、つねに激しく意識され、おそらく 危機的に充実していながら、しかもつねに、作家の全歴史の中の過渡期にすぎないという性質を鋭くおびるのだ。 》 97頁

《 ハイゼンベルクは、現代芸術の「解体現象」を、原子兵器の利用に比較するという誇張まで敢えてしているのだ。 》 110頁

《 出発してきてしまった場所へは、いずれにせよ、もはや元通りに戻るわけにはいかないのである。 》 110頁

《 その主たる特徴は「含羞」ということであって、この「含羞」の痛切さ、真正さがなければ、すべてはむなしい空騒ぎになるだろう。 》 112頁

《 近代社会は教権の圧力や要求にさからい、おのれ自身を独立させてきたのと全く同じ理屈によって、芸術家は社会からおのれ自身を独立させてきたわけだ。芸術家に 対して社会が強制力をもってその要求を押しつけ得る社会は、何らかの意味で集団主義的、教権主義的、共同体的な社会である。 》 115頁

《 社会的「要求」あるいは「需要」と、それに応じる側との関係が、このように変化した結果、次のようなことが生じてきた。つまり、かつては、共同体的社会の 要求に最もよく応じるものが、自動的に最もすぐれた作品であったのに対し(なぜなら、それ以外の場には作品も存在しなかったから)、今日では、需要を最もよく 満たすもの必ずしも(いや、ほとんどの場合)当代最高の作品ではない、ということである。 》 116頁

《 純粋化といい、単純化という。それは「省略」、「排除」なしには成りたたない。何を省略し、排除するのか。本質的ならざる一切のもの、であろう。 》 124頁

《 キュビズムが、人のいう「幾何学」を夢中になって追求した結果、絵はかえって主観性の深淵に深くはまりこみ、この「イメジ」の浮遊を押しとどめるために、 「オブジェ」とよばれる客体世界の断片を、貼り絵(パピエ・コレ)のような形でもう一度画面に導入しなければならなかったという事実は、絵画における「幾何学」 なるものが、いかに数学的な普遍妥当性とは異なる主観的、感性的なものであるかを示して余りあろう。 》 129頁

《 私はさきに、現代の美術と社会とのかかわり方についてふれつつ、現代の画家たちがカンヴァスの上に描くのは、何よりもまず、彼の「私的な関心」であるといった。 今その問題についてもう一度ふれ直すなら、以上書いてきたことによって、現代画家における関心の「私性」というものが、通常考えられるような意味での「私性」では ないこと、その「私性」は、世界の構造と本質への詩的直感、それの抽出、可視化という一連の精神的行為そのものを意味しえたことは明らかだろうと思う。 》  130頁

《 セザンヌはもっと徹底していた。風景も静物も人間も、彼にとっては、まるで医学者が自分の解剖しつつある人体を、生理法則の実証と異変の実例としてみつめる ように、純粋な探究的観点から眺められるものになったのだ。彼の静物は、たとえばシャルダン静物のような愛らしく雅びな雰囲気をもたない。それは「丸味」 「密度」「空虚」「均衡」「重心」「拡大」「深さ」等々に関する、きわめて主観的な、しかし、揺るがしがたく厳密で必然的な「関係」によってつなぎとめられている 一連の探求の結果そこに出現した、新たな「もの」なのだ。 》 130-131頁

《 画家が個々の作品の完璧性よりも、彼自身の生のある一貫性、その意味での全体性の保持と昂揚をめざすとき、当然、作品の「断片性」が「本質」そのものとなる 傾向が生まれる。 》 132頁

《 世界の本質を、クレーの言葉を借りていえば「生成」にあると考える以上、それの全容を完結体としてとらえることはかえって矛盾しているからである。(中略) それは直観的な把握によって感性的に一挙にとらえるほかないものである。 》 133頁

《 これは、しかしながら、つねに現実には失敗を予想しなければならない、恐るべき緊張を要求する制作行為なのだ。 》 134頁

《 実際、一回かぎりの瞬間的行為のもつあらゆる輝きにみちた昂揚も、行為が過ぎ去れば、絵具という静止した媒体によって描かれた「ある一枚の絵」にすぎないこと になる。 》 135頁

《 今、ここでとりあげた抽象絵画のような傾向は、現代美術の現在ただいまの時点でいえば、過ぎ去った流行を見るような眼で眺められるにすぎないものかもしれない。 美術界のファッションの移り変わりは、女性たちのそれよりも一層すみやかだともいえるのが現状であって、総体としては、はてしない解体へ向かってにぎやかに 下降してゆきつつあるようにも思われるほどだ。 》 140頁

 引用のひとつひとつに余計な口をはさみたくなるが、自重。

 朝、法政大学の学生たち二十人ほどを源兵衛川へ。二時間弱案内。

 ネット、うろうろ。

《 「昭恵氏の推薦分もふくまれていた。」との事ですが、昭恵氏は完全な私人、公私混同以外の何物でもありません。これが国家の私物化でなくて何でしょうか。 私人による国家の私物化を許すのが「保守」なのか、「右」の方々はよくよく考えるべき時だと思います。 》 米山 隆一   https://twitter.com/RyuichiYoneyama/status/1196965373918101504

《 2019年11月19日のNHKのニュース項目。花見会の不正疑惑がどこにもない。代わりにあるのが「安倍政権 歴代最長に並ぶ」という安倍政権のPRコーナー。 不正疑惑を報じてしまうと安倍政権PRの効果が薄れる。首相官邸に叱られる。だから報じない。NHKニュースはネットと放送で報道の姿勢が違う。 》 山崎 雅弘
  https://twitter.com/mas__yamazaki/status/1197009711284903936

《 安倍首相が、自民党総裁である自分さえ「やる」と言えば実現する国会での説明から逃げ回り、記者のぶら下がりでのみ質問に答えるのは、飼い馴らされて 萎縮した記者達は、野党議員のような厳しい質問をしないと踏んでいるからだろう。日本の大手メディアは首相に舐められ、海外メディアに嗤われている。 》  山崎 雅弘
  https://twitter.com/mas__yamazaki/status/1197021733716250624

《  最長最悪宰相
  都合の悪い事抹消
  最長最悪宰相
  各国首脳から失笑
  最長最悪宰相
  バラマキ、取り巻き、腐敗の温床
  最長最悪宰相
  ヤジとゴルフは皆勤賞
  最長最悪宰相
  投票率下がれば必勝  》 猟奇の鉄人
  https://twitter.com/kashibaTIM/status/1196813272210522114

《 冷たい空気以外、店に入ってこない。 》 古書現世  向井透史
  https://twitter.com/wamezo/status/1197043073294860288