モーリス・ブランショ『批評の現況は?』1963年を、集英社『世界の文学 38 現代評論集』1978年初版で読んだ。たった五頁だが、凄い。
《 しかし、なぜ批評家が必要なのだろう? なぜ作品だけで語りだすことがないのか? 何故、読者と作品のあいだ、歴史と作品のあいだに、読むことと書くこととの この珍無類な雑種が介入してこなければならないのだろう? 》 9頁下段
《 批評言語とは共鳴空間なのだ──作品の、語らず、不確定な実体が、そのなかで、一瞬、変容して、みずからを言葉へと閉じこめるような共鳴空間なのだ。 》 10頁下段
《 批評はもはや、個々の文学作品を強調して、遅ればせにその価値についての意見を表明する外的判断ではない。批評は文学作品の内奥と分かちえぬものとなって しまった。つまり批評は文学作品がそれ自体へと至る動きに所属し、文学作品それ自体の探求、その可能性の経験なのである。(中略)批評は文学経験の可能性の探求に 結びついているが、この探求は単純に理論的な探求ではなく、文学経験が成立する──それも、創造によってみずからの可能性を確認し、また否認しながら、文学経験が 成立する、その基盤となる意味なのである。探求という言葉は、その知的な意味において理解してはならず、創造的空間のただなかにあり、しかもそれを目ざしてゆく 行動として理解しなければならぬ言葉である。 》 12頁上段
うれしくシビレル論述。激しく同意。
東京新聞、読書欄、パール・S・バック『終わりなき探求』国書刊行会への千石英世の評、冒頭。
《 人間みな兄弟、これはだれもがどこかで耳にしたことのある名言だが、英語ではAll Men are Brothersとなり、実は中国の伝奇小説『水滸伝』の英訳タイトルでも ある。今も人気の豪傑小説をこの題で英訳したのはパール・バックだった。英語への初訳だ。 》
そういえば『水滸伝』を”すいきょでん”と読んだ若い人がいた。酔狂伝なら面白かったな。
昼前、友だち来訪。牧村慶子展の打ち合わせ。展示する本を選び、垂れ幕に使う絵の候補を選ぶ。
午後四時過ぎ、五枚の布地に絵がプリントされた写真がメールで届く。いい出来。仕事が早いわ。
夜、オフィス・カサブランカの勝呂さんと電話で打ち合わせ。
ネット、うろうろ。
《 やさしく あたたかな 絵本原画展
千葉県津田沼市の習志野文化ホールにて
12月13・14・15日に開催
JR津田沼駅(東京駅から快速で約30分)南口より徒歩4分の場所です。
ぜひ、お出かけください。 》 Officeカサブランカ
https://twitter.com/ga_casab/status/1192267169830076419 http://www.city.narashino.lg.jp/shisetu/kominkan/640120150619145916454.html
《 イオンでの買い物に使うWAONカードについてポイントの使い方がわからんと母親に泣きつかれ、当然俺も何も知らないのでググったところ、 どうやらこのサービスには「WAON POINT」と「WAON ポイント」がそれぞれ別の概念として存在するようなのだが、何がどうなったらこんな事態になってしまうんだ? 》 Go
https://twitter.com/Go_8yo/status/1200655604366184448
《 ロバート・ロプレスティ『休日はコーヒーショップで謎解きを』を読んでいたら、作者がEQMMに短編を初めて掲載されるまで、76の短編を却下されたことが 書いてあった。初投稿から初掲載まで無慮33年。AHMMには5年でパスしているのだから雑誌スタイルの違いも大きいとはいえ。ネバーギブアップ。 》 ストラングル・成田
https://twitter.com/stranglenarita/status/1200391454717173762
《 ほんとうに新しいものは「新しいけど、懐かしい」という印象をもたらします。/えらてんさんとの対談本の「まえがき」 》 内田樹
http://blog.tatsuru.com/2019/12/01_0927.html
《 ネットを支配する「シニシズム」「冷笑主義」という魔物の正体/津田 正太郎 》 現代ビジネス
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68782
《 もともと潔白じゃないから潔白の証明はできない。だから「記録がないからわからない」「わからないからシロクロつけられない」という 不可知論の霧の中に逃げ込む。そして「私が指示したとは証明されていない」などと開き直る。この繰り返しだ。名簿の電子データを復元すればすべてが ひっくり返る。 》 上丸洋一
https://twitter.com/jomaruyan/status/1200934461463904259