グレアム・ハーマン『四方対象──オブジェクト指向存在論入門』人文書院、「第三章 実在的対象」を再読。
《 この宇宙には無限の対象があるかもしれないが、それらはたった二つの種類に分けられる。すなわち、あらゆる経験から退隠する実在的対象と、経験の内にしか 存在しない感覚的対象である。これらとともに、私たちは二種類の性質をも手にしている。すなわち、経験において見出される感覚的性質と、フッサールが感性的直観で なく知性によってアクセス可能なものだとした実在的性質である。このことによって、宇宙における四つの異なる極が生じる。 》 80-81頁
《 こうしたモデルをより詳細に発展させることで、私たちは新しい哲学の入り口に到達することになるだろう。 》 82頁
フッサール、ハイデガーをちゃんと読んでいない門外漢には、彼らにたいする論述と批判が正鵠を射ているかどうか判断できない。そして気がかりな訳文。
《 第一に、語源的に正しいからといって、手許性と「実践」を、手前性を「理論」と同一視するのは誤りである。 》 70頁
こうじゃないかなあ。”手許性を「実践」”と。
《 第一に、語源的に正しいからといって、手許性を「実践」と、手前性を「理論」と同一視するのは誤りである。 》
ブックオフ長泉店で二冊。赤瀬川原平『健康半分』デコ2011年帯付、島田雅彦『エトロフの恋』新潮文庫2007年初版、計一割引194円。前者の惹句、「発見!病人力」。 へえ。
ネット、うろうろ。
《 知識って、それがあることすら知らないのと、よくわからなくてもそういうものがあるんだと知っているかで、全然違うんだよね。 あることを知っていれば、必要になってから調べたり勉強しなおすことはできる。知らないものは探せない。 》 近藤史恵
https://twitter.com/kondofumie/status/1081405505195540480
《 テクストを離れて見取図を作れば、きれいな宣長像を作り上げられるかもしれないけれど、それは常に変造の危険に曝されている。その意味でも、 あくまで宣長のテクストに即して、その人や思想を取り出したいと思ったのです。これは「外篇」についても同様で、近代の研究書、文献についても、 文章そのものを読んでほしいと思っています。/ 熊野純彦インタビュー 無償の情熱を読み、書く 『本居宣長』(作品社)刊行を機に 》 週刊読書人ウェブ
https://dokushojin.com/article.html?i=4180&p=6
《 現実の国家同士のやりとりのレベルがインターネットのレベルまで降りてきたな 》 ドンガメ六号
https://twitter.com/dongame6/status/1081241512246046720
《 9:30に買って14:56に売るだけの簡単なお仕事 》