『中村雄二郎対談集 現代芸術の戦略』二(閑人亭日録)

 『 対談集 現代芸術の戦略』青土社2001年初版、武満徹との対談「表現としての音・音楽」を読んだ。

《 中村 音楽を耳で聴くとか、絵画を目で見るということは、結局はそう言って間違いではではないのだけれど、問題はその意味する内容がどういうことかなんですね。 普通はそれが定義通りにうわっつらの意味にとられて非常に貧しいものになっている。つまり目で絵を見るとか、耳で音楽を聴くというのは、本当はただ視覚や聴覚の 働きだけではないんですね。最終的には絵画は目で、音楽は耳で統合するのだけれども、その背景にはもっといろいろな感覚の共振がある。人間のもつ諸感覚をフルに 動員して視たり聴いたりするのでなければ、ほんとうに人間的な、いやむしろ宇宙的な広がりと深まりをもった訴えかけや感銘はありえない。ですから、そういう意味では、 ミクロコスモスとしての人間が全身のあらゆる感覚をいわば総動員していると言ってもいいんですね。 》 53頁

《  中村 のっぺりしたきれいごとの音というのは、それ自身、一つの世界をつくってはいても、そのつくられた世界が小さかったり、単純であったりする。そこで、 われわれが音楽を通してもっと豊かな音の世界と触れたいと思う時には、一面ではわざわざ、整いすぎた音のシステムを壊さなければならないわけですね。
  その”さわり”の問題で前から気になっていて、今度、考えてみてオヤッと思ったのは、”さわり”というのはまさに触覚的なものなんですね。そして、弦なら弦が 楽器の胴体に触れるというあり方でも、確かにさわっている。きれいな、こぢんまりした秩序ではなくて、それを打ち破ってもっと荒々しいものも含むとか、普通では 含みがたいようなものまで含んでもっと大きな秩序あるいは宇宙をつくっていく。 》 58頁

 現代美術家工藤哲巳(てつみ)との対談「現代芸術の戦略」を読んだ。

《 工藤 美術とは何かと言ってもいいし、芸術とは何かと言ってもいいんですけど、とりあえず芸術とは何かというと、徹底的にすべてを疑うこと、神も疑い、自分も疑い、 すべてを疑う、その行為の集積を芸術と言うよりないわけです。疑うことに徹することで、そこから枝や葉がでてくると考える。そういうことが僕の態度の出発点になって いると思う。そう言うと具体的なようでいて抽象的ですけど(笑)。 》 69頁

《 工藤  そのうちに油絵具で潜水艦を模写するようになる。潜水艦を模写できるようになると、コローの絵も簡単に模写できるわけですね。
  中村 そういうもんですかね。(笑)。
  工藤 潜水艦の鈍く光ったニュアンスが、コローよりも難しかった(笑)。これは冗談じゃなくて、ほんとうにそうだったんです。 》 76頁

《 中村 小磯良平とか林武とかいう人たちは、当時ともかく日本の”洋画”(近代絵画)の技法上の頂点と目されていた。あとになって、その評価の基準となった フィルターひとつ剥がしてみれば、かつての評価の基準が非常に限られたものだというのはわかるけれども、”裸の王様”の話みたいなもので、みんなうすうす気がついて いてもあの当時の美校(芸大)のなかでは、正面きって反対できないものね。 》 81頁

《 工藤 こういうことがあるでしょう。人間の性格を言うときに、理科系と文科系という分け方がありますね。僕なんか完全に理科系なんです。デュシャンはやや文科系で、 ちょっと曖昧なところがある。瀧口修造さんは徹底的に文科系なんです。
  中村 これはまた、ドキリとするほど明快な区別をもち出したものですね。
  工藤 たとえば僕なんかが親しい人では、大岡信は文科系ですね、中原祐介は理科系、針生一郎となるともちろんこれは文化系ですね、いろんな鎧をかぶってますけれど (笑)。僕のような理科系の目からデュシャンを見ると、デュシャンの苦労したところがまる見えなんです。
  中村 仕掛けがまる見えといわけですか。
  工藤 ええ。見せまい見せまいと苦労したところがまる見えになっちゃう、逆に。そして、彼がおもてに出した贋ダイヤ、つまり便器なんかが、僕のほうからは見えない。 だからジェラシーというよりも人間のタイプ、生物の種類が違うと思う。 》 103-104頁

《  中村 つまり、オーソドックスなところのある人が自分のテーマをああいうかたちで表現したというのは面白いけれども、なにか手放しにみんながすごいというほどには 感心しませんね。
  工藤 ただデュシャンを真似たり、自分で納得せずに持ち上げたりするのがいちばん困る。 》 106頁

《  工藤 透明な物体なんですよね、便器は。いや物体ですらない。幾何学的な一点のようにスペースすらない。ところが人間は生身で肉体がある、しようがないから 贋ダイヤなんかがとりあえずあったほうがいいんですよ。ところがこれはとりあえずであって、掴んだあとはまた別なんだけれども。やっぱり人間というのは情け深いから、 掴んだら放さないんだな。
  中村 デュシャンのあの作品の場合もとの現物はなくなって現存しないわけでしょう。ないのが本当の姿なんだ。
  工藤 そうそう。
  中村 ほんとうはものとしてないものに安易にすがりつこうとするところに、とんでもない意味のとり違えがでてくるんでしょうね。さっきの第三の眼の再発見と同じ ように、自分自身のなかでそういうことに気がつかない限り、なかなか分からないでしょうが。 》 112頁

 ネット、うろうろ。

《 なぜ「アートの活用」といった発想法がでてくるのか、その原因を考えてみたけれど、今のところ思いつくのは「アートが生(/死)にかかわる」方々のことが わからなければ「なにかの役に立つべきだ」と、その存在意義をもとめてしまうのは仕方ないことなのかもしれない。 》 中島 智
 https://twitter.com/nakashima001/status/1224312359360978945

《 逆にいえば「アートの社会活用」を標榜する人たちは、「アートに出逢ってなければ死んでいたかもしれない」という方々の存在が、信じられないか、 アートを根源的かつ実存的レベルでの欲動ではなく〈衣食住〉などの次に求められる副次的活動と誤解してしまっているのかもしれない。 》 中島 智
  https://twitter.com/nakashima001/status/1224347497662799877

《 第一回シンポジウム 「未来の人類研究センタ ー」キックオフシンポジウム開催 》 東京工業大学
  http://www.fhrc.ila.titech.ac.jp/news/symposium01/

《  #安倍政権 による #東京高検検事長 の定年延長は違法では #渡辺輝人 弁護士

  検察庁法22条違反はもとより、直接適用はない国公法の例外的な定年延長の趣旨にも合致せず趣旨に違反、で許されないという結論が妥当。法律で許されないことを 政府が閣議決定でいくら決めても違法。 》 望月衣塑子
  https://twitter.com/ISOKO_MOCHIZUKI/status/1224470404401549312

《 東京地検特捜部は、中国企業「500ドットコム」側が現金を渡したと供述した自民党岩屋毅前防衛相ら衆院議員5人や、中国旅行に同行した白須賀貴樹衆院議員の立件を 見送った。 ……すげえな、日本。もう、何をやってもお咎めなし! 》 町山智浩
  https://twitter.com/TomoMachi/status/1224446786669932547

《  わわ。これはあからさまで、ぶっ飛ぶ。
  ジャスト5時、安倍首相は腕時計を見て「終わった」と呟いた。これで中継が終わり、辻元議員のしつこい質問がオンエアされなくなると安堵したのだろう。
  だが非情にもその瞬間「ニュース シブ5時の時間ですが、国会中継を続けます」とテロップが流れたのだった 》 盛田隆二
  https://twitter.com/product1954/status/1224341832508702720