『現代芸術の地平』再読三(閑人亭日録)

 市川浩『現代芸術の地平』岩波書店1985年初版、「II 1 芸術が開く世界」を再読。

《 いずれの場合にもわれわれの心が渇くのは、われわれが具体的な生の一部をしか捉えていないからであり、それをひそかに予感しているからである。そして意識された 生が具体的な生の兆にすぎないかぎり、兆は具体的な生の全体へと超出されることをもとめる。しかしその超出は、生のかくされた深みへ向かってなのだろうか。それとも もう一つのあらわな表面へ向かってなのだろうか。 》 37頁

《 具体的現実は感覚的対象の少しむこう側かこちら側にあって、めったに気づかれず、瞬間的に垣間見られるか、永い凝視をとおして徐々に開示されるにすぎない。 そのような気づかれない現実にわれわれの意識をとどまらせ、日常の意識にあらわれる現実の断片から、具体的現実へとわれわれを超出させるシンボル的形態が芸術である。  》 40頁

《 見ることを積分したかぎりでの見える具体的現実は、むしろ目を閉ざすことによって、新たに体験しなおされる。 》 42頁

《 知覚的現実や情感的現実は、知覚や感情から距離をとることによって、記憶と想像のなかで理念化される。理念化によって、現実は非実在的なものに変換され、芸術言語 という異質な次元のシンボルによって表現されることが可能になる。同時に、非実在化され、理念(イデー)に変換された具体的現実は、言語の物質性を受肉し、 虚体として実在性を獲得する。 》 43頁

《 芸術的模倣において、出来事は、現実的効力を失って虚在と化し、理念化される。模倣された形態は、実効をもたないその理念性によって、われわれに利害関心を はなれた快感をあたえ、われわれの存在を更新し、限定されていたわれわれの生を解放するのである。 》 44頁

《 われわれがそれを眺めることを余儀なくされるのは、ウォーホールのキャンベル・スープの缶が単に実物そっくりだからではなくて、現実の道具空間ではない中性的な 架空の空間のうちに置かれ、価値を変換されているからである。それは(ジャスパー・)ジョーンズのブロンズ製のビール缶と同様〈眼だまし(トロンプ・ルイユ)〉では あるが、眼だましであるかぎりにおいて、それは虚体化されている。しかもその虚体化は、目に見えるキャンベル・スープの缶の背後にある目に見えない真の〈有〉を あらわれさせるものではない。キャンベル・スープの缶は、いぜんとして表面的な任意の缶であるにとどまっている。 》 47頁

《 ここで追及されているのは、現実の深さを追求し、表現する垂直の超出ではなく、現実の任意性・不確実性を示す横すべりの超出である。 》 48頁

《 芸術作品はこうして生きられてはいたが、気づかれていなかった現実の意味や構造を虚構によって拡大し、感じうるものにする。 》 50頁

《 したがって芸術言語の表現性は、その言語の表現可能性ばかりではなく、表現不可能性にも依存するのであり、言語美学は、ある言語形態のポジティヴな表現性を 分析するばかりでなく、ネガティヴな表現性にも注意を払うべきなのである。東洋の美学に典型的にみられる空白、あるいは間(ま)による表現は、このようなネガティヴな 表現性の一つの可能な方向を、徹底的に追いつめたものといえよう。 》 58-59頁

《 われわれが知覚的世界にとどまるかぎり、われわれは具体的現実を対自化することができないであろう。 》 59頁

《 現実は主体の〈参加(パルティシパシオン)〉において現実として生成する。(中略)したがってわれわれが回復する具体性は、究極的には日常的限定から解放された かぎりでの原初的具体性であって、神の眼に映ずるべき絶対的具体性ではない。具体化は唯一の真実性へと収斂するのではなく、日常的限定から解放されればされるほど、 多様な形態化の可能性へと拡散する。〈兆〉は全体と予定調和的に対応するわけではない。 》 60頁

《 芸術はしばしば感情あるいは想像とむすびつけて論じられることからも分かるように、シンボル的なレヴェル(媒介された志向的構造のレヴェル)での自己作用調節の 働きをもっている。芸術は認識的価値をもつかぎり、それが提示する新しい現実認識は、しばしば人を不安にさせるが、自己作用調節の働きをもつかぎり、ドストエフスキーカフカの小説のように、人を不安におとし入れる作品でさえも、あるやすらぎをあたえるのである。 》 61頁

《 芸術作品は、客観的に実在する物質的形態であるかぎり、またその記号形態が観念的表象をわれわれのうちに喚起するかぎり、われわれは記号形態をいわばその内面から 生きているのである。(中略)これは生きられたシンボル的形態としての芸術作品が、なかば対象的なかば主観的な性格をもち、現実の生においては全面的には対自化され えない生を、対自化された形で体験することを可能にするからである。 》 64頁

《 しかしこれは芸術作品だけのことではない。シンボル的な世界に生きる人間にとっては、物や道具や制度が〈意味するもの〉となり、人間が〈意味されるもの〉となる 逆転が起こる。いや逆転でさえない。(中略)生産関係や親族関係が形づくる制度となれば、一層この構造は明瞭になるだろう。 》 65頁

 じつに読み応えのある論述だ。私の考えていたことをさらに広げ、ぐっと深め、大きく展開している。参った。脱帽。初読のときはどんな感想だったろう。知りたくは ないな。

 昨日、最後の案件が片付く。やれやれ。地元産のイチゴ「紅ほっぺ」の小粒を今季初賞味。美味しい。旨いと感じる幸せ。
 友だちの助言に従って源兵衛川下流部のヒメツルソバの駆除は延期。先月からの疲れはまだ残っているようだ。

 ネット、うろうろ。

《 今の気分
  会田誠さんのコレ
  Japan2020でもいいかも 》 ¥164
  https://twitter.com/164rock/status/1238050580536250370

《 もうここまで来たら、今年無理にオリンピックをするより来年コロナショックからの復興五輪にした方が世界中で盛り上がって景気も良くなりそう 》 本条修司
  https://twitter.com/shujiHONJO/status/1238261900342853633

《 ドイツ政府の声明。「文化とは いい時だけに許される贅沢なものではない。私たちは今それらが中止になることでどれだけそれが私たちにとって大切で私たちに 足りないかを感じている。この非常時において、特に小さい企画であったりまたフリーランスの芸術家達を強く支援をしていく必要がある(続く) 》 Naomi Mori  https://twitter.com/ladolcevita416/status/1238031571489132544

《 ドイツの文化大臣、コロナで打撃の文化機関に金融支援を表明。

  「現状は文化セクターにとって大きな負担であり、アーティストやフリーランスには相当のストレスがかかっていることは明白。あなたたちを見捨てはしない」

  日本の大臣や長官はこんなことが言えるだろうか? 》 橋爪勇介|美術手帖  https://twitter.com/hashizume_y/status/1238120143667916802

《 オーストラリアのコロナ対策

  一時金や奨励金、税控除、実習生の賃金の半額給付、等々

  「9月末まで続ける」ですって

  「9月末」 》 buu
  https://twitter.com/buu34/status/1238005782865571840

《 森法務大臣の発言について、総理が官邸を出る際にぶら下がり取材を要請しましたが応じませんでした。
  それでも私が「任命責任はないのでですか」と聞くと「ご苦労様」とだけ答え、「検事長の定年延長がおかしいから、ああいう発言になるんじゃないですか」と 質問を重ねても無言で立ち去りました。 》 宮原健太
  https://twitter.com/bunyakenta/status/1238062218651942913

《 安倍晋三という稀代の売国奴が犯した罪の中でも最悪なのが、戦争を体験した日本国民に二度とひもじい思いをさせないために制定された「種子法」を、 トランプのスポンサー企業「モンサント社(現バイエル社)」のために廃止したことだ。日本人の食の安全を売り渡した安倍晋三、万死に値する。 》 きっこ  https://twitter.com/kikko_no_blog/status/1238053833453875202

《 これがブラックフライデーだ!! 》