『現代芸術の地平』再読五(閑人亭日録)

 市川浩『現代芸術の地平』岩波書店1985年初版、「III 1 現代芸術の境位」を再読。

《 十九世紀後半から二十世紀にかけて、芸術創造の過程自体が自覚化されるなかで、自分の創造過程にたいする方法的反省と自分の作品にたいする自己批評は、芸術家に とって不可欠の創作態度となった。主題としての「何を」を表現するかにもまして「いかに」表現するかが、重大な関心事となった。さらには「いかに」自身──つまり 創るということ自身を主題とする作品も生まれる。しかし「いかに」表現するかが、自己目的と化し、聖化されるとき、「いかに」は拘束に転じてしまう。 》 94頁

 「III 2 現代芸術の可能性」を再読。

《 新しい様式は、それに先だつ様式との質的差異と対立において表現を解放し、自由をあたえるのであって、単に様式的規準の厳格さがゆるめられることによってではない 。様式を支えている価値の中心が移動することによって、表現形式のゲシュタルトに劇的な変容がもたらされるのである。 》 107頁

《 そしてデュシャンとケージは、規範からの漸進的解放ではなく、規範そのものを破壊することによって、様式の解体に最後のとどめを刺したのである。 》 110頁

《 解放が規範となるという逆説的なことが起こる。 》 111頁

《 われわれは単に網膜的でない作品を見るのであり、音列の配列変換を聞くのであって、作品の構成原理を知的に理解し、楽譜の上で配列をたしかめたとき、 伝達が成立するわけではない。 》 113-114

 「III 3 空間について」を再読。

《 視覚優位の人間の生活では、見ることに焦点を合わせるために、他の感覚が抑止され、それが身のはたらきとして制度化されているのであろう。われわれは 暗闇のなかでも見分けようとし、身をもって感じ、身をもって知ることを忘れている。目をとじてまわりをさぐるときでさえ、われわれは手先にさわるもの、足先にふれる ものだけを感じとっているのではない。内面空間と外面空間を交叉させ、身体図式と身体感覚のすべてをはたらかせて見えない空間を分節化するのである。 》 126頁

《 おそらく未開の時代にはもっと鋭くはたらいていたであろう共感覚と感覚─運動的な身の活動図式が、暗闇のなかでは多少ともめざめるのである。 》 128頁

 「III 4 コスモロジーなき時代の住処」を再読。

《 「闇の空間」は谷崎潤一郎が『陰翳礼賛』で描いているような日本の伝統的建築の空間である。(中略)
  磯崎(新)は日本の建築空間のこうした特質について、陰翳は「光が闇のなかをよぎるときにとり残されたすべて」であり、建築空間は陰翳の分布、光の濃度として あらわれるという。しかもここでは光は絶対的ではなく一時的であり、消え去るために存在するから、光の濃度はさまざまに変化し、遂には闇と化してしまう。それは ヨーロッパの建築空間のように、光と影が対立物をなし、対位法的に構成される空間ではない。闇のなかに、ときたま光が明滅する「闇の一元論」とかれは呼んでいる。 この空間に入ることは、われわれの存在が「意識の底辺まで掘りさげられてゆく過程」を体験することであり、その意味でこの空間は、深層心理学的・魔術的・象徴的な 世界へとつらなる空間系列に属する。 》 148-149頁

《 生世界の〈時〉は、一瞬一瞬にかぎりなく深さをうがつこともできれば、謡曲の時間のようにかぎりなくひきのばすことも、その成熟を待つこともできる。 》 157頁

 昨夜、北海道立函館美術館から味戸ケイコさんの絵四点が届いたとのメール。やれやれ。

《 どの作品も密度が高く、改めて、越沼さんのコレクションの水準の高さを実感いたしました。 》

 うれしい言葉。

 ネット、うろうろ。

《 RT 商業音楽はこの通りなのだろうが美術はどうなのだろう。東日本大震災以降、現代美術の中にも「寄り添う」ムードが出てきたように感じた。 あからさまにではないが「社会のために、人々のために」という雰囲気。「役に立たない」ことが身上だった現代美術が何かの「役に立つ」顔になる時は警戒する。 》  大野左紀子  https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1239045690656874496

《 異動のお問い合わせが続いています。励ましのお言葉が多く寄せられ、大変有り難いです。突然、4月から記事審査室だと言われました。広報部門となり、 朝日新聞記事は書けません。ただひたすら、政府が原発事故で何を隠しているのか、なぜ被害者を切り捨てるのかを追及してきたのに、と戸惑っています。 》 青木美希  https://twitter.com/aokiaoki1111/status/1238984690154893312

《 「「官邸はあらかじめ予定時間を20分と短く通知しておいた上で、「大幅に時間を超えて対応」した構図を演出。首相が追加質問を受け付けるのも筋書き通りだった。」 」(西日本新聞

  内閣記者会加盟の媒体社ってホントにトコトン腐ってるね。 》 M.kyoya
  https://twitter.com/kappaman/status/1238995565666430976

《 NHKが日曜討論の司会がとんでもない事を言っている。新型コロナウィルスの感染が世界に比べて低いのは、安倍総理が唐突ではあったが、 小中高校の一斉休校などの早目の処置が良かったからだと。NHKはもう完全にお終いです。 》 青木正
  https://twitter.com/ouendan10/status/1238981148325203968

《 大日本帝国以来、一度国家ぐるみで始めると途中で中止できずに玉砕まで行く国だからなw
  有能な官僚も数が集まると愚民の集と化すのは伝統だ 》