1906(明治39)年  田島志一(閑人亭日録)

 夏目漱石草枕』は1906(明治39)年夏に執筆された。

《 1906年明治39年)7月26日に執筆開始。同年8月9日脱稿。「吾輩は猫である」の脱稿から10日後に執筆を開始し、完成したのはその2週間後であった。 》
《 1906年に『新小説』に発表され、1907年に『鶉籠(うずらかご)』に収録された。 》
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E6%9E%95

 1906(明治39)年にこだわってしまう。

《 誠に筆舌しがたし美術本を造った人がおります。原画が絹本の場合は絹本に、金箔の場合は同じく金箔に着色木版で摺る。さらに色の深みを出すため八十度より 二百度摺りに及ぶ。精巧緻密な技術により複製した図版は数百頁に及び表紙は絹地に古画を摺り出し本となる。独立完成した美術品とも思われます。   田島志一は 明治三十二年真美大観の一册を刊行した。そして二十冊が完結するのが明治四十一年である。光琳派画集五冊は、明治三十九年に完成している。浮世絵派画集五册も 明治三十九年に完成している。これらに共通していることは、英文版が在るということである。(真美大観は和英両文であるが) 》 【田島志一と審美書院】 山崎純夫
 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/artbooks/kusa13.html

《 以後の「審美書院」は、画家別に作品を編集して『光琳派画集』(明治36~39年)や『元信画集』(明治36~38年)、『若冲名画集』(明治37年)などを次々に刊行し、 これによって美術出版社の名声を得るようになりました。また、海外へも販路を拡大することが計画され、明治30年代以降の審美書院の刊行物には、田嶋志一の訳による 英文版も作られていました。 》 「明治期の写真・印刷と出版事情  ―付・コロタイプ印刷の実際―」 山口須美男
 http://www.artbooks.jp/Korotaipu.htm

 『草枕』で鑑賞されている伊藤若冲。当時は『若冲名画集』が出版されるほど知られていた。
 『光琳派畫集 第五冊』の英語版『 MASTERPIECES SELECTED FROM THE KORIN SCHOOL Volume V 』を開く。扉の表記には”Tokyo: THE SHINBI SHOIN"に続いて英文で住所。 奥付は日本語。”明治三十九年九月二十八日発行  編輯兼發行者 田島志一”。日本版と同じ天地小口、三方金の堅牢本。挟み込みの英文チラシには値段票。

《 VI. Prices are as follows:──
  Single volume, Yen 25 each.
  The whole set, Yen 115.  》

《 我が国最初の美術全集、「真美大観」の発行は、明治32年、京都建仁寺の禅居庵に設けられた「日本仏教真美協会」にはじまります。 美術本の発行元が禅宗の寺院であるのは今日からすると違和感がありますが、元来の主旨が美術の嗜好を利用して仏教思想を喚起するため、 つまり布教活動の一助として計画されたのだそうです。刊行開始時の担当者は以下の通り。

  作品選択・今泉雄作 和文説明・藤井宣正 英文説明・高楠順次郎
  同批評的補説・フェノロサ 木版彫刻・森川応翠 同色摺・田村鉄之助
  写真製版印刷・小川一真 編集・田嶋志一 》 『古本倶楽部 16.最初の美術全集』
 http://nakano.jimbou.net/catalog/geta_themes.php/gtID/18

《 この「真美大観」は会員への頒布という形式で出発。当初の価格設定は1冊が15円50銭、全20冊完結すると210円。ピンとこないかもしれませんが、 だいたい一冊で普通のサラリーマンの給料ひと月分くらいです。「俄か美術家として之を購うの資力あるもの、果して幾人かある」と囁かれるほどに高価なものでした。

  しかしながらそれも無理はなく、膨大な美術品の撮影、編集作業。さらに当時最高の印刷技術を駆使した図録は、我が国の出版文化の金字塔であり、 明治33年に開催されたパリ万博では印刷部門の金牌を受賞するほどの水準。現在の目で見てもすばらしい出来栄えなのです。 》 『古本倶楽部 16.最初の美術全集』
 http://nakano.jimbou.net/catalog/geta_themes.php/gtID/18

 『真美大観』第八冊、奥付 ”明治三十五年十一月廿五日発行 編輯兼發行者 田島志一  發行所 日本眞美協會”。

《 明治38年、『真美大観』の発行権が光村の事業の失敗で、第十一冊の発行後に手放されました。翌39年1月、『真美大観』の発行権を引き継ぐため、 東京市京橋区に「株式会社審美書院」が設立されました。この会社は宮内大臣であった田中光顕が筆頭株主となっていたので、その尽力で多数の政界・財界人が株主となり 株式会社として独立しました。当初の資本金は11万円でありました。田嶋志一が審美書院の主幹をつとめ、東京美術学校教授の大村西崖を主筆としました。 》  「明治期の写真・印刷と出版事情  ―付・コロタイプ印刷の実際―」 山口須美男
 http://www.artbooks.jp/Korotaipu.htm

 明治三十九年七月二十五日に國華社から刊行された『本朝三十家名畫集』は、上記『光琳派畫集』と同じような造本。このあたりの競い合い感覚は面白い。『真美大観』は、 美術雑誌『國華』にならったのだろう、ソフトカバー。が、『光琳派畫集』はハードカバー。並べてみるとなんとも興味深い。

《 このように海外進出は大成功をおさめたようだ。 ところが田島志一は翌年の帰朝後「美術之日本」に「田島主幹の帰朝」「田島主幹歓迎会」と記録があるだけで 博覧会の報告などなにも見ることはできずそのまま全てを相見繁一任し突然やめてしまう。  その後は左記の記録しか知りえなかった。     明治三十一年始めて真美協会を起こして、真美大観を発行し次いで、審美書院を設立して以て美術書刊行に従事す、余昨秋故ありて審美書院を去り専ら工業方面に 鞅掌しつつあり 本務の傍ら芸海社を起こしその最初の事業として茲に本書を刊行す。 (郡芳清玩第一册 序)田島志一    因にこれは余談に渉るが、 田島氏はその後審美書院を去り日本紙器会社を設立して一時実業界立志傳中の人と唱はれたが不幸にしてその晩年は余り掉はず、大正九年に易簀されたさうである。 (近世風俗畫史の後に書す 大村文夫) 》 【田島志一と審美書院】 山崎純夫
 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/artbooks/kusa13.html

 1997年9月~10月、千葉市美術館で催された『日本の版画 I1900-1910 版のかたち百相』展図録、小池満紀子「近代版画と浮世絵」から。

《 また審美書院から東京美術学校日本画科出身の川面義雄の監修により『浮世絵派画集』が明治39年(1906)に出版、ここでは木版摺以外の手法、厚薄和紙張合せの コロタイプ刷に下絵色分けするという方法などが用いられ複製されている。 》 20頁

 図録には『國華』163号(1903年)、同169号(1904年)、同192号(1906年)掲載の三点が採録されている。が、審美書院関連のものは未採録

《 明治40年代に、新版の浮世絵を刊行していた版元は、大平(松木平吉)と滑稽堂(秋山武右衛門)で、共に早い時期から浮世絵の芸術性についての認識のあったところ である。 》 同19頁
 http://www.ccma-net.jp/publication_catalog/1997/1997_04.html

 この二つの版元から小原古邨の花鳥画木版画が刊行されていた。小原古邨は、アーネスト・フェノロサの指導で花鳥画木版画の下絵を描いた。フェノロサは1908年に死去。 小原古邨への言及はなく、図録にも未掲載。一年後に平木浮世絵美術館で開催された小原古邨展まで、多分知らなかったのだろう。人づてに聞いたが、小原古邨の孫が 千葉県にいて、フェノロサという人からの手紙(葉書?)があった、と。今世紀になって千葉市立美術館へ行き、館蔵品目録を見る機会があった。小原古邨の木版画は 何点かあった。が、私の欲しい!と思う作品はなかった。
 http://web.thn.jp/kbi/koson.htm
 去年、太田記念美術館で催された小原古邨展では上記小池満紀子(中外産業原安三郎コレクション担当)氏の講演があった。へえ~。
 http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/exhibition/ohara-koson

 注記。田島と田嶋が混在しているが、元本の活字表記はすべて田島。

 ネット、うろうろ。

《 私の基準だと、蔵書が一部屋に収まっている人が「一般人」、それ以上は程度の差があるだけで、皆さん「廃人」です。 》 日下三蔵
 https://twitter.com/sanzokusaka/status/1271490875680411648

 ギクッ。

《 20人の力士が自殺志願者を助けた件、「20人が横並びになって川を堰き止めた」って考えたの絶対あたしだけじゃないよなと「力士 せき止め」で検索したら やっぱり山のようにいて、ただその中で「19人で堰き止めて1人が助けた」と書いてる人の冷静さと正確性に感動している。 》 大矢博子
 https://twitter.com/ohyeah1101/status/1271737165240602624

《 都内で新たに50人に迫る新型コロナの感染者が出ました。まだまだ油断はできませんね。それでは次の曲です。小池百合子とソーシャルディスタンス『東京アラート』。 聴いてください。 》 鯨統一郎
 https://twitter.com/kujira1016/status/1272069027880263683

《 国会では「記憶にございません」を禁止してYESかNOの2択にしなければ。
  山添「電通に米企業を紹介したか?」
  前田「そういうのは記憶にございません」
  山添「米企業のイベントでの講演で言及」
  前田「記憶にございませんけれども(x2)」
  山添「インターネットに記事が出ている。確認してほしい」 》 Koichi Kawakami https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1271660432734875649

《 安倍首相がロシアに3000億円を献上した結果、北方領土に対するロシア政府の領有姿勢は更に強固なものになってしまった。安倍政権以前は四島を軸に交渉が行われて いたのに、今や全島について交渉が破綻。ここまでの外交的無能には中々お目にかかれない。 》 異邦人
 https://twitter.com/Narodovlastiye/status/1271689511613808640

《 マスコミの政権御用達部門やネトウヨ司令塔どもが「安倍総理は肉体的・精神的に大変だ」ネタで押してきてるのは、電通の尻に火がついてて 冷静な判断が出来なくなってるからなのか、それとも電撃的発表の伏線か。いずれにせよ喜ばしい。だって解決法は判りきっているのだから。辞任。 》 津原泰水
 https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1272034073712537603

《 2001年~2020年の20年間の科学技術政策は、国を傾ける大失敗であったと断定して良いと思っている。 》 Shuuji Kajita
 https://twitter.com/s_kajita/status/1271620398644248578

《 あいつトリエンナーレ 》 𝙃𝙤𝙪𝙭𝙤𝙌𝙪𝙚(邱和宏)
 https://twitter.com/QueHouxo/status/1271536110653456384