中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年初版「第二部 第六章 〈場所の論理〉の彼方へ(パリ討議版)」を読んだ。
《 制度は、固有の法則あるいは論理を持ってきます。それは、人間の意志によって設定されたものですが、ひとたび設定されると、規範として現実を組織し物質的な裏付け を持つために、どうしても惰性的な性格を帯びるようになる。それゆえ、制度の働きを十全に保つためには、たえず人びとによって問いなおされ、人びとの意思によって 支えられていることが必要です。人びとがそのような努力を怠るとき、制度は人間に対して単に客観的、外在的存在としてではなく、疎遠な拘束的な力として、疎外的に働く ようになる。つまり、制度的現実は、疎外的客体性ともいうべき在り様をしているので、疎外的客体性の認識を媒介とすることなしには、とらえ得ないのです。 》 214頁
《 しかし、それにもまして、私が感銘を覚えたのは、二十世紀の最初の三十年間における量子論の発達、とくにその後の量子場の理論への展開において、実在についての 見方が根本的に変化したことです。 》 217頁
《 さらに、いまやミクロの世界つまり物質の究極の実在は、相互作用する場の広大な活動舞台と見なしうるのです。これまでのエネルギー対物質、粒子対場という二元論が 解消されて、一切が相互作用する量子場であると見なされるようになりました。(中略)その場は真空ではあるが空虚ではなく、実際にそれは、自発的に創成と消滅を 繰り返す粒子と反粒子からなっていたのです。何もないように見えるのは、激しい量子の創成と破壊がきわめて短時間かつ短距離のうちで行なわれているからでした。 》 217頁
《 大宇宙がこのようにニュートン的な絶対空間から有機的コスモスへと回帰したことは、今日、場と場所とを考察する上でも、並々ならぬ意味を持っています。 》 218頁
《 また、そのような宇宙観をもたらすきっかけになった新しい真空観の真空は、右に見てきた内容からすれば、真空(vacuum)というより、むしろ有を算出する〈無の場〉 と言った方がいいものです。 》 219頁
《 無の場所や絶対無の場所を、無限の可能性を持った場所、根源的な出来事の生起する場所、さらには複雑性を持った動的システムとして捉えなおすことです。 無限の可能性を持ったシステムは、その可能性の高さのゆえに透明化して、かえって無に見えるのです。論理的には無の場所と言わざるを得ないのです。 》 219頁
《 そして私が〈述語的世界〉というとき、なにより、この世のさまざまな拘束、束縛、約束事、制度、法則などによって支配されず、そこから解き放たれた世界、カオス的 でもあれば欲動でもあり、無意識的でもあるような世界を指しています。しかし、それは、まったく無垢の世界ではなく、とくに言語とのかかわりのうちで、その原初性が あらわれるのです。(中略)ただ、量子論の場合には、その理論的、実験的な成果そのもののうちに、存在の始原の在り様をうかがわせるものがあるのです。 》 222-223頁
《 生命的なものと非生命的なものとの断絶は、近年の科学・技術の飛躍的な発達にもかかわらず、肝心なところでは、たいへん乗り越えがたいものがあります。 》 226頁
《 私が〈振動〉という現象と概念とに注目したのは、なによりもそれが右の断絶を埋め、異なった諸領域の問題を統一的にとらえる働きを持つものと考えたからです。 》 226頁
《 しかし、単独の、孤立したリズム運動から生命活動や精神活動にかかわる複雑な、さらには高次なリズム振動に至るためには、もう一つの重要な要因あるいは原理が必要 です。それは、非線形振動同士の引き込み(entrainment)であります。 》 227頁
《 この振動とリズムへの私の着目のうち、振動への着目が、《実在とは場の振動である》とする量子論的な場のとらえ方と合致することは容易にわかります。しかし、 それだけにとどまりません。この振動とリズムへの着目は、一見量子論的な場とは結びつきがたいようにみえる存在論的な場所の何たるかをとらえる上にも役立つのです。 それというのも、西田(幾多郎)のいう無の場所とは、単に何もない場所ではなく、無限にリズム振動が立ち現われうる場所にほかならないからです。 》 227-228頁
《 しかし、場所とは果たして、自立してそれだけで存在するものでしょうか。(中略)そのとき必要になるものは、それを成り立たせる拘束条件であり、場所を限定する ものとしての制度であります。そして制度による場所の限定には、大別して、外部からなされる場合と内部でなされる場合とがあります。 》 228-229頁
《 そして、このように二種類の制度(拘束条件)がありうるのは、場所がそれ自体でだけ存在するものではなく、外部との関係において成り立っているからです。そして、 自己組織系というのも外部との関係のひとつの在り様なのです。 》 230頁
雨の合間を縫ってお買いものへ。源兵衛川最上流部の縁台がとうとう半分水没。一昨日は縁ぎりぎりだったけど。川べりの奥さんは、家の井戸が吹き出してきた、と。 生れて初めて、ということは戦後初めてかな。
そういえば、アベノマスク、届かない。嫌われたか。
ネット、うろうろ。
《 もし「開く」方向の可能性を考えるとしたら、(3年程前に某大学院大学での講義で提案したが)「アート」「アーティスト」という言葉を一旦やめ、「ものを作る人」 「物語を作る人」「場を作る人」「関係を作る人」を使ってみてはどうか。これはいろんな実践をつなぐ新しい地図を描くための言葉。 》 大野左紀子
https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1287549493383032834
《 我が国のコロナ第2波対策が「第2波と呼ばないこと」だとは思わなかった。 》 ナスカの痴情ェ
https://twitter.com/synfunk/status/1287270945204236288
《 昨日、千駄ヶ谷・神宮外苑で行われた「オリンピック粉砕デモ」、確認できただけでも私服(=公安)が85名以上。加えて所轄の制服警官と機動隊員が多数 (途中で警視庁の腕章を装着している者もいるように、動画に写っているのは全員警察)。せいぜい30名程度のデモに、なぜここまで過剰警備を行うのか。 》 Galbraithian
https://twitter.com/galbraithian999/status/1286855028175601672
《 カミングアウトをきっかけに人々の思いが交錯する小説のゲラを読んだ。最初読むのが辛かったが、やはり気になって、最後まで読んだ。読んでよかった。 色々考えた。だがまず思うのは、カミングアウトによってどうしてドラマが生まれなければならないのかということだ。そのこと自体がもう辛い。 》 千葉雅也
https://twitter.com/masayachiba/status/1287356615633428481
《 インド5000年の英知を見よ 》 海外の万国反応記
https://twitter.com/all_nations2/status/1287232444995756034