『日本政治思想史』再読・三(閑人亭日録)

 原武史『日本政治思想史』放送大学振興会2017年2刷、「第7章 各論4・街道から鉄道へ─交通から見た政治思想」を再読。

《 江戸時代には、幕府が車両による人員輸送を禁じていました。明治になって登場した馬車は、輿や駕籠に代わる交通手段になるはずでした。(中略)
  しかし日本では、馬車が普及しないうちに全国各地に鉄道が敷設されてゆきます。 》 123頁

《 天皇は一八九〇年以降、鉄道による行幸を定例化したため、馬車にはほぼ乗らなくなりました。こうして街道に代わり、鉄道が政治思想と結びつく時代が本格的に到来 するわけです。 》 124頁

《 第3章で触れたように、時間が人々の行動を規定することを、「時間支配」といいます。(中略)天皇自身もダイヤに従うという意味では、時間こそが究極の支配者 だったわけです。 》 126頁

《 江戸時代前期から、人為的に報知される時刻によって生活を規律する習慣は、都市のみならず農村においても、想像以上に普及していたようである。とくに一七世紀中頃 以降、寺院の鐘(梵鐘)が急速に普及した。(中略)これらは当時の日本人が人工的時間による社会秩序の形成・維持を慣習化し始めていた証左となるばかりでなく、 維新以後、西洋式機械時計が普及するための心理的あるいは社会的準備となった。 》 126-127頁

《 ここにも、江戸時代との連続性があります。近代天皇制は、全国規模で成立していた視覚的支配の遺産を徳川政治体制から受け継いだだけでなく、そこに成立していた 旧暦的な時間の秩序をも受け継いでいたのです。(中略)
  言うまでもなく、国学者にとって太陽はアマテラスを意味しますので、太陽暦はアマテラスを天皇の祖先として重視する彼らにとって好都合だったわけです。 》 127頁

《 これが二〇一二年一〇月に復原された丸の内駅舎です。赤レンガの駅舎が宮城(現・皇居)に面していたように、この駅は天皇のための駅として建設されたのです。
  それは江戸時代の日本橋に代わる一元的な交通システムの中心が誕生したことを意味していました。 》 128頁

 「第8章 各論5・近代日本の公共圏と公共空間」を再読。

《 政府がその危険性を察して民権運動を弾圧するとともに、学校教育の現場から政治的な討論を行うような可能性を完全に断ち切った結果、江戸時代以来の会読という 慣行はなくなり、生徒たちはひたすら立身出世のための学問へと駆り立てられてゆきました。 》 139頁

 「第9章 各論6・東京と大阪」を再読。
 「第10章 各論7・シャーマンとしての女性」を再読。
 「第11章 各論8・超国家主義と「国体」」を再読。

《 裕仁は、二六年一二月に天皇になるまでに、沖縄県を含むすべての道府県を一巡しました。(中略)
  しかし、明治天皇大正天皇に比べると、行啓や行幸の形態が大きく変わりました。その変化を一言でいえば、第2章で触れたように、裕仁が訪れた各地で「君民一体」 の空間が設定されたことです。(中略)皇太子や天皇が肉声を発する代わりに、臣民による下からの「奉仕」が、各地で大々的に繰り広げられるようになったわけです。
  これもまた視覚的支配の一形態と呼ぶことができるでしょう。 》 185頁

《 裕仁自身は、東京のほか、大阪や京都を訪れたときを除いて、公共の空間で基本的に肉声を発しませんでした。第2章で触れたように、君主が言葉を発するよりも、 臣民が無言の君主の前でさまざまな「奉仕」を行うほうが「君民一体」感は高まります。 》 186頁

《 第7章で触れたように、これは江戸時代に街道そのものが行列によって支配を視覚化するための政治空間へと早変わりしたことと共通します。こうした視覚的支配は、 鉄道が発達する明治以降も継承されました。同様に、たとえ東京をはじめとする全国の都市が空襲され、建築物が破壊されても、「空き地」は各地に残り、一九四六年以降の 戦後巡幸ではそうした空間で「君民一体」の光景が再現されました。 》 192頁

《 時間支配というのは、国民全体が同時に同じ姿勢をとっていると想像することで成り立つ支配です。 》 193頁

《 天皇と植民地や租借地などを含む大日本帝国、そして「満州国」の臣民が、午前一〇時一五分という時間に黙祷していると〈想像する〉ことにこそ、「君民一体」の 「国体」を見いだしていたのです。 》 194頁

《 つまり「満州国」では、日本以上に「視覚的支配」と「時間支配」が併用されたのです。
  どちらの支配も、皇帝自身が言葉を発するわけではありません。多民族国家を統治するのに、これほど都合のよい支配形態もなかったでしょう。 》 196頁

 午前8時00分30.5℃。
 午後1時36分37.3℃。
 あの日もこんなに暑かったか。ここで退陣の発表でも・・・しないな。
 きょうから三日間夏祭りのはずだったが。暑いだけの静かな一日。
 銅版画家多賀新氏から鉛筆画の個展の案内。この猛暑の東京・・・。三十年ほど前、三島の画廊でお目にかかった。長時間にわたって話が弾んだ。氏は、自分がこんなに 話すとは、と驚かれていた。
http://aokigallery.jp/2011ex/tagashin2020/

 ネット、うろうろ。

《 誤字脱字といえば、中井英夫と親交のあった音楽家松村禎三旧蔵の『とらんぷ譚』には、中井英夫自筆の正誤表のコピーが挟まれている。『週刊読書人』の中井の 連載も一緒にコピーして宣伝しているのだが、面白いのは連載のコピーにも朱が入れられていることだ。「天帝への贈り物」への拘りを感じる。 》 うがぴょん
https://twitter.com/ugapyon/status/1294283104194924545

 中井氏から同じものを恵まれている。平凡社から澁澤龍彦高橋康也へも送られたが、双方に間違って送られ、面識のない二人は会って交換したと中井氏から聞いた。

《 この件は象徴的で、アートが社会的弱者排除や負の歴史の痕跡の隠蔽に使われるのは歴史上、非常によく見られます。自身を美術家として認識しているなら、 そのような歴史には自覚的であるべきです。RAYARD MIYASHITA PARK事業に参加している「アーティスト」諸氏は見解を示すべきでは。 》 永瀬恭一(一人組立)
https://twitter.com/nagasek/status/1294425382905503744

《 RT 誰でも入れるのが公園の良さだったのに、わざわざ商業施設の上に作って入り口で入場者チェックしてるらしいのう。「宮下公園」じゃない、「宮下管理園」だわ。 そういうところに作品を置きたいアーティストもいるんだね。。 》 大野左紀子
https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1294449392225640448

《 結局は何が欲しいのか、まあそれはカネの話になるのだが、誰が金銭的に得をするか損をするかで世の中は決まっている、というのをインテリはシニシズムと 批判したりするが、それはごく普通の大衆的考え方である。 》 千葉雅也
https://twitter.com/masayachiba/status/1294460114997407745

《 すべてをカネの問題として考えることができない者は、密かにガキだとバカにされるか、そうでなければ敬して遠ざけるべき変人だと見なされる。 》 千葉雅也
https://twitter.com/masayachiba/status/1294460614161469441

《 よくある誤解に、アーティストの個性は「勉強」によって自らを意識的に差異化しているのだという見解がある。実際は、彼らは日常生活のなかにも、 そこで触れる諸々の情報にも、「徴候」を目撃し、「徴候化」しているのである。これは「前表象化」と換言してよいが、そこに無意識的個性が宿るのである。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1294399497431212033

《 自己表現か、社会反映か、といった安易に最適解を導きやすいだけの誤った構図からでて、「異なる環世界間に生じる生態学的現実」や「ある個体をメディアとして 表れる人類の無意識」などへと視野を拡げたとき、やっと美学・美術史は、その幼年時代を終えるに違いない。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1294427995050872833

《 安倍晋三が国政の場から消えてから、日本政府には期待できないことが可視化され社会のコンセンサスとなり、考え無しの標語や要請に巻き込まれる不安も遠のき、 生活の建て直しが順調になってきた。 》 津原泰水
https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1294441982488506368

《 墓の裏側の通気口は毎年こんなん 》 RedXelvis@かっぱちゃんの人
https://twitter.com/redxelvis2000/status/1293770339214692353