『日本美術史の近代とその外部』再読(閑人亭日録)

 稲賀繁美『日本美術史の近代とその外部』放送大学教育振興会2018年初版を少し再読。歯切れのいい文章で通説とは異なった観点を提示する。

《 その観点に立つとき、もはやかつての、そして「近代」と呼ばれた時代に確立した「美術」観や「藝術」観も、その有効性を失い、再定義を求められている。 》  「まえがき」 7頁頁

《 いささか逆説なことにも、今日われわれが日本美学の精華とみなす多くの事象は、実際には大陸からの舶来文化との交渉を通じて彫琢されたものであり、徳川時代以降の 近世であれば、それはとりわけ西欧世界と日本との交わりのなかで姿を現した。文化的な特性は、外来の影響を遮断した孤立のなかにおいてではなく、むしろ外の世界に 向けた好奇心を通じて発現する。国粋すなわち国民文化の精髄は、外の評価に晒されてはじめて、その本領を発揮する。北斎現象は、その顕著な一例ではなかったか。 》  「第2章 欧米での北斎評価」 33頁

《 西欧的前衛と非西欧の伝統という区分には、このように西欧側の価値観が暗黙のうちに前提とされており、ジャポニスム現象をめぐる学術的研究も、最近までこの枠組み を脱しえなかった。だが、19世紀後半に戻ってみると、日本趣味とはむしろ応用藝術、装飾藝術と呼ばれた領域で隆盛をみていた社会現象だったことが判明する。 》  「第4章 陶藝のジャポニスム」 56頁

《 陶藝から彫塑への越境も、日本趣味の射程を測るための、なお残されたひとつの未開拓な領域となることだろう。 》 「第4章 陶藝のジャポニスム」 65頁

《 本章では、琳派の世界的な評価がいかに形成されたのかを、従来とは異なる角度から考察する。 》 「第5章 琳派エミール・ガレクロード・モネ」 72頁

《 ここまで、ジャポニスムあるいは日本趣味と言われる現象の周囲を、常識的な切り口とはやや異なり、文化交渉の相互作用として再検討してきた。従来の研究は ともすれば個別の文化圏の存在を前提として、そのうえで相互の影響関係や交流の実態を探ろうとするものだった。これに対して、本章を中締めに提唱したいのは、 そうした前提を取り払う姿勢である。異質なるもの同士の交流や相互関係のなかから、特異な文化変容の在り方が炙りだされてくる。そしておのおの文化圏の個性も、 けっして万古不易な本質といったものではなく、歴史や社会の状況に応じ、個別の条件のもとで、さまざまに表明され、変遷してゆく。
  これらの藝術家たちは、日本趣味の時代末期に、世界史的な植民地体制を生き、自己同一性という牢獄からの解放を願った。彼らから改めて汲むべき教訓を、ここに 見定めたい。 》 「第6章 異界接触論:ファン・ゴッホとポール・ゴーガン」 95頁

 二年前の五月下旬に感想を認めている。

《 書き写そうとすると際限がなくなりそうなので、短く(短すぎるかな)。簡潔に書かれているが、それはまさしく氷山の一角に過ぎない。 》

 その通りだ。じつは今回が初読と思い込んでいた。ああ、健忘症というか老化現象。でも、初読のように新鮮だから、よし。

 急に激しく降ったり、晴れたり、目まぐるしく変わる空模様。

 ネット、うろうろ。

《 出社 即 豪雨 》 スロウ
https://twitter.com/slowchestra/status/1301321277202857985

《 「私の周りのミュージシャンは多かれ少なかれ皆、音楽に救われているように感じられた。ある程度習得するだけでも膨大な時間を費やす。 だけど例えば人生の2年間を棒に振る覚悟で音楽に向き合えたら、その後の人生を豊かにしてくれる可能性は容易に想像が付く。」白砂勝敏 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1301054426447192064

《 「棒に振る覚悟で音楽に向き合えたら」という言葉がいいな。はじめに「人生を豊かにするために」ではなく、そうした音楽(芸術)の手段化では、 「向き合え」ないものがある。「棒に振る」ことで「棒に当たる」のかもしれない。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1301054499004407809

《 全国の小屋や物置の写真を撮っている者です。
  写真のように田んぼ脇に置いてある杭置きを何と呼ぶか、ご存知の方いますか?
  その地域の呼び方で構いません(というより、ローカルな呼び方がたくさん集まった方が面白いです)。
  Twitter集合知の力を貸してください。
  よろしくお願いします。 》 endhrs
https://twitter.com/endo_hiro4/status/1301117934555684864

《 「自助・共助・公助」は行政が社会保障や公共サービスから撤退する時使う用語。撤退の隙間に企業が入り公共は営利化市場化し、行政が責任を持つべき生活保護、 衛生行政、教育、社会保障から撤退し自助互助が強調され、自己責任領域が拡大して穴だらけのセイフティーネットに。だから自粛警察が映える。 》 上林陽治
https://twitter.com/tokoroshu/status/1301320354762076161

《 自公政権が「自助、共助、公助」で行くのならば、野党側は「ベーシックインカム」でまとまって対抗して、これからの日本をどうしたらいいのか 国会で論戦をするのがいいんじゃないかな。よい国会になるよきっと。 》 森岡正博
https://twitter.com/Sukuitohananika/status/1301368584480763904

《 病院へ向かう公人中の公人が乗った車列をテレビカメラが捉える。診断治療でなく2週に渡って「訪問」と報じられ、やがて病名が噂され、その病名を理由に 辞任の運びとなった。診断書が提出されることや医師が会見に同席し病状を説明することもなかった。これ普通、別の理由や仮病を想像する推移だよね。 》  立川談四楼
https://twitter.com/Dgoutokuji/status/1301004552850694144

《 第2次菅内閣。 》 津原泰水
https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1301104378934259721

《 腰痛すぎて、伊丹十三になった。 》 綿野恵太
https://twitter.com/edoyaneko800/status/1301379117112201222