『沈黙の日本美』二(閑人亭日録)

 吉村貞司『吉村貞司著作集 弐 沈黙の日本美』泰流社1980年初版、「日本画──深層と空間」を読んだ。なかなか読み応えがある。読ませる。

《 西洋では描きたいとき、すぐに描ける。チューブからキャンバスに直接絵具を塗りつけてもいい。だからわき返る感情をそのままキャンバスにぶつけることができる。 感情にまかせての体あたりも可能である。 》 88頁

《 日本画も洋画も同様に絵画とよばれている。けれどもその内容は全くちがっている。洋画の本流は科学にあった。それに対して日本画は精神であり、哲学であった。 》  88頁

《 印象派の画家は光学を絵画で表現したのであって、自分たちの仕事は芸術よりも科学だと思っていたと構造主義レヴィ・ストロースが断言している。 》 89頁

《 そして現実性を棄てるのが純粋への道であり、純粋のきわまるところは幾何学的な抽象形であった。 》 89頁

《 表現主義シュールレアリズムを通じて、激情はついにはジャクソン・ポロックの抽象表現主義になった。絵画はもはや描くという行為、描く時間そのものに価値の すべてをおくようになる。かかる時間は衝動である。だから絵画に絵具とともに体あたりしなければならない。 》 90-91頁

《 彼は描くことによって、彼自身の生命、激情を表現しようとしたし、描くという時間の一瞬々々に自分のすべてを賭け、格闘し、傷つき、痙攣することであった。 》 91頁

《 洋画は時間をたっぷりかけて制作すべきものとされてきた。しかしゴッホが二時間そこそこで制作したからといって、一ヵ月かかって、制作した他の画家より低く評価 されることはない。 》 92頁

《 日本の画家や書家は人々を前にして制作することがあったが、そのために堕落もしなければ自殺もしなかった。ところがポロックは制作するアクションを公開することに よって、生命をちぢめた。 》 94頁

《 同じ瞬間、同じ行動による制作といっても、日本と西洋の時間の意味は全くことなっている。日本では画家にしろ、書家にしろ、手本なしに描くことのできる収斂を つんでいた。彼らの内部には熟しきって絵筆をとれば、ただちに画になるイメージが用意されていた。だから多くの人の前で描こうと、あるいは自分の画室にこもって 描こうと、相違がなかった。 》 94頁

《 日本画家は画手本から出発して、自らの画に到達しなければならなかった。私たちが画家として高く評価している人たちは、それぞれ自分の画を完成していた。〔中略〕 だから日本画家にとって、即興的に制作するのは、孕んでいる画題を形にすることにすぎず、時に応じて自分の創意を加え、偶然を生かし、アド・リブ風にたってのける ことは、訓練の中に織りきまれていた。
  ところがアクション芸術、ハプニング芸術にはかかる可能性の種子がなかった。 》 97頁

《 線を中心としないで、面を基準とする。日本画が線を中心としているのと対照的でもある。線は描き方によって動きをもち、はたらきをもつが、面はむしろ静的な存在に なろうとする傾きがある。そのために、洋画はクラシックであると、現代であるとを問わず、存在であることを目ざし、造形的に傾くことが多い。人物の多くは、人間性で あるよりも存在であることを必要とし、存在性を強調すれば、セザンヌピカソのように人であるよりも、ものとして取りあつかうようになる。 》 112頁

《 日本画が絶対の線を描かねばならないというのは、抽象表現主義ポロックがつらい思いをして、冒険と危険とに挑みつづけたのにくらべて、決してやさしいとは 言えない。画家はいつも真剣勝負をする気がまえでいる必要がある。ポロックとちがうのは、精進さえすれば成功の道が開ける可能性の上に立っていることであった。 》  125頁

《 書もまた書き直しがきかない。筆をおろす前に、頭の中に、あるいは白いままの紙の上にすでに書くべき文字が形をなしていなければならない。 》 126頁

《 ところが木彫はただけずるだけである。 》 127頁

《 こうした日本の彫刻の孤立性、絶対性、そして立体性は、木彫という特殊な方法によったことと無関係といえない。 》 133頁

《 木彫ならば、なぜ絶対的立体となるか。それは彫りはじめたら途中で変更できない性格をもった困難さのゆえである。その困難を征服する方法は、彫りはじめる前に、 彫るかたちがしっかりと定まっているほかない。 》 133頁

 その先を行ったのが、白砂勝敏さんの木彫作品だ。樹幹との対話的感応から始まる。形は未定。
 https://shirasuna-k.com/gallery-2/wood-sculptures-chair/
 https://shirasuna-k.com/gallery-2/wood-sculptures-objet/
 つづく「庭──緊張といのち」を読んだ。

《 六朝の宋炳に始まるという咫尺(しせき)千里の壁画は、咫つまり八寸、尺は一尺、三〇センチ未満の画面に千里の景を描くというにあった。それは単に風景を縮小して 描いただけではなく、大画面に描かれた。つまりひろびろとして果てしない大陸を、遠山の彼方、地平線の彼方まで描くにあった。それは大景観的パノラマに止まらず、 山と水によって宇宙的な広大さを表現するにあった。 》 156頁

 味戸ケイコさんの小さな絵、北一明の茶碗を思う。それからの遠い反響を感じる(のは、私だけかな)。

《 私たちは用がむだのない機能的な美を生み出すことを知っている。けれども、用をはなれたら、美もまた美であり得ないことが多い。 》 160頁

 ネット、うろうろ。

《 さすが河合隼雄 》 長島弘
https://twitter.com/derochang/status/1306743887109566464

《 日本の医療マンガ50年史  医療マンガレビュー 》 日本グラフィック・メディスン協会
https://graphicmedicine.jp/projects/manga_review/

《 「総額表示自体は消費者のニーズが大きい」→えええ?そうかね?どっちかっていうと消費税への重税感を減らそうっていう政府側の都合でしょ? 》  Hiroshi Yamaguchi
https://twitter.com/HYamaguchi/status/1306953585255571456

《 日本で出版物の総額表示義務化の問題が浮上しましたが、台湾では、2021年から図書の営業税(日本の消費税に当たる、5%の税)の徴収が免除される条例改正案が、 今年の4月23日(世界読書デー)に発表されています。 》 太台本屋tai-tai books
https://twitter.com/taitaibooks/status/1306408163051069441

《 「デジタル庁」の一番先にするミッションは国会中継の完全オンラインリアル中継だな。議論はそれからだ。 》 スナックかえるちゃん
https://twitter.com/aminah2500/status/1306951066257244162

《 イヌと遭遇したニワトリが驚き、それからイヌを追いかけている動画。庭に積まれた木のスノコの類の回りを何度も回っている様子が微笑ましい。 オーストラリアの Tammy Sattler 氏が撮影したもので、音声では彼女と家族が楽しみながら見ていることがわかる。 via @TheSun 》 Oguchi T/小口 高
https://twitter.com/ogugeo/status/1306722542896390144

《 ここを抜けるのは大変そうだ。 》 竹熊健太郎《地球人》
https://twitter.com/kentaro666/status/1306850509270122496