『日本文化の核心』四(閑人亭日録)

 松岡正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』講談社現代新書2020年5刷、「第九講 まねび/まなび」を読んだ。

《 二〇世紀初頭のロシアに、レフ・ヴィゴツキーという三七歳で夭折した天才的な発達心理学者がいました。〔中略〕
  ヴィゴツキーは幼児や子供にひそむ内的認知道具を育むような教育こそが最も大事な「学び」の触発になるだろうということ、とくに「模倣と協同」が基本を触発 しているということを強調しました。 》 178-179頁

《 教育勅語はその国体を学校教育の前提にも敷いておこうというものでした。
  しかし、これはやりすぎだった。明治政府の教育方針は極端になりすぎていたのです。福沢諭吉はグローバルな文明知こそを日本はマスターするべきだと言い、 そのために来日したお雇い外国人はみごとにその文明知を大学教育にもたらしたのですが、その外国人たちは日本の伝統文化に関心を示したにもかかわらず、教育勅語では 天皇中心の国体護持思想をふりまいたものだから、何か根本的なところがまちまちだったのです。 》 194-195頁

《 ならば、何をもって日本は「学び」とするべきなのか。グローバルなものとローカルなものをどう融合させればいいのか、そこがあらためて問われます。とくに国体的な ナショナリズムに陥らない日本知をどのように認識するのか、そこが問われています。 》 195頁

《 何をもって日本は「学び」とするべきか。そこにどんな方針や方向や方法があるのかというと、私はいったん「世阿弥に戻ってみる」のがいいと思っています。 》  197頁

《 こうして世阿弥は「まねび」を稽古することをもって「まこと」に近づいていくことを「まなび」としたわけです。 》 201頁

《 このことは、日本人が「手習い」ということを重視してきたことにもつながります。学習の基本には手本や見本が先行したということです。これはヴィゴツキーの 「模倣と協同」につながることでしした。 》 201-202頁

 昨日展示のお手伝いをした「風の子造形教室」の趣旨につながる。

《 工作・粘土・絵画を中心とし、遊びをまじえながら、“手先からの創造性”を高めていくよう指導いたします。 》
 https://www.at-s.com/facilities/article/culture/art/135000.html

《 「第一〇講 或るおおもと」を読んだ。副題が「公家・武家・家元。ブランドとしての「家」について」とあるように、聖徳太子の「国家」から起され、項目順に 「公家の序列」「武家の成立」「分岐点としての承久の乱」「『夜明け前』が問うたもの」「「家の死」を見つめた森鴎外」「家元制というシズテム」「茶道の伝承と家」 「親分子分と侠客たち」と盛沢山な内容。これだけで本一冊分になる。歴史の流れをざっくりと把握するのに便利。私には大いに役立った。

 「第一一講 かぶいて候」を読んだ。副題「いまの日本社会に足りない「バサラ」の心意気」。

《 バサラやカブキの精神には、「出る杭は打たれる」とは反対の気骨が流れていました。出る杭になっても怖れないようにする、それがバサラやカブキの精神です。 》  236頁

《 親鸞のいう「悪」とは”Bad”ではありません。”too much”が「悪」なのです。そこで親鸞は念仏によって「悪」という”too much”からの逆転を計ったのです。 》  236頁

《 私は現状の日本がコンプライアンスを破る者に目くじらを立てたり、罰則をもうけようとしていると、本当の「中道」がうんと遠くなるだろうと危惧しています。 今日の日本にバサラやかぶき者の気骨が失われていることは残念なかぎりです。 》 238頁

 「第一二講 市と庭」を読んだ。
 「第一三講 ナリフリかまう」を読んだ。
 「第一四講 ニュースとお笑い」を読んだ。

《 情報の本質は区別力にあります。 》 301頁

《 これらは、まだ控えめの課題です。もう少し大きな課題としては「日本的情報文化論」のようなものを構想できる才能や研究者があらわれること、日本のマクルーハンや 日本のウンベルト・エーコの出現を期待したいです。 》 304頁

 「第一五講 経世済民」を読んだ。

《 しかし、こうした検討とはべつに、ひっかかっていることがあるのです。それは、これまで無神経に説明概念を乱用してきたのではないか、その乱用にいったん歯止めを かけておいたほうがいいのではないかということです。 》 318頁

《 ジャパン・システムを欧米型で語らなければならないと、思いすぎないほうがいいというのが、本論の結論です。〔中略〕次はジャパンス・スタイルのための用語に 堂々と和用語をつかってみるべきです。 》 325頁

 「第一六講 面影を編集する」を読んだ。副題「一途で多様な日本。「微妙で截然とした日本」へ。」

《 私は、日本という国をアイデンティカルに捉えることはできない、しすぎるとまちがうと見てきました。また、そのように見るのはかなり危険だし、まちがいがふえる だろうとも察してきました。
  アイデンティティは心理学用語です。〔中略〕しかし、こういうものを民族や国家にあてはめるのはムリがあります。少なくとも日本にはあてはめないほうがいい。 》  332頁

《 字義通りにいうと、「朕兆未萌〔ちんちょうみぼう〕の自己」とは「私(朕)が生まれ出ずる(萌)以前の自己」という意味です。〔中略〕
  しかし、そんなものがあるのか、あるとしてもそれが現在の自己とどんな関係をもつのか。難問でしたが、〔鈴木〕大拙はこれを「主客未分(しゅかくみぶん)の自己」 というふうに捉えて、われわれは主客を分けない前の主客同体のようなところで、一切を感じるべきではないかということに思い至ります。 》 337頁

《 それではなぜ、かれらにそんな方法が可能になったのでしょうか。その理由は明白です。すべてを進捗させないで、気になる大事なことを萌え出ずる時点にまで セットバックできる「思いの場」を用意したからです。元に戻って先に進むという方法が発動するところを用意したからです。西田〔幾太郎〕はそれを「無の場所」と 呼びましたが、私はそれこそが「面影」というものだろうと思い至ったのです。蕪村の言う「きのふの空」です。 》 339頁

  「凧(いかのぼり)きのふの空のありどころ」

《 面影自体がいいと言っているのではありません。大事な面影を動かそうとすることが、日本的な思考や方法を喚起すると言っているのです。 》 339頁

《 このように「おもかげ」と「うつろい」は字義通りの意味をもっているのですが、私はこのことを人の感情や印象にとどめず、「日本という国」が面影を求めて移ろって きたというふうに捉えたのです。 》 331頁

 このくだりに味戸ケイコさんの絵の独自の魅力を解く鍵が控えている予感。ワクワク。松岡正剛『日本文化の核心』読了。やったら面白かった。

 台風一過。天気晴朗なれども風強い。洗濯物は家の中。

 ネット、うろうろ。

《 偉そうにしてる人はすべからくバカ。ただバカだからそれを指摘しても理解する能力がないので、受け流すべし。 》 石川浩司
https://twitter.com/ishikawakoji/status/1308645135400402944

《 竹中平蔵って昔から森喜朗並みなんだよな。 》 津原泰水
https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1308897316749873152

《 菅政権による中小企業潰しが始まった。中小企業(資本金3億円以下や又は従業員300人以下)への優遇が無くなれば倒産、廃業、合併が増え、失業する労働者が増える。 生産性を高めるためという理由だが、要するに労働者を減らすということだ。大企業への優遇、補助金には手をつけずに。おかしいだろ。 》 俵 才記
https://twitter.com/nogutiya/status/1308960716137791488

《 TIME誌、2020年の「世界で最も影響力のある100人」にジャーナリストの伊藤詩織さんが選ばれました! 原審一部勝訴の際の写真が使われています。 これまで支えてくださった多くの支援者の皆さまの心より御礼申し上げます。今後ともどうか宜しくお願いいたします。 》 OpentheBlackBox ー伊藤詩織さんの民事裁判を支える会ー
https://twitter.com/open_blackbox/status/1308617704396345345

《 伊藤詩織氏が「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。当然だろう。その自己犠牲の精神と勇気は世界中の女性や良識ある日本人を支え続けている。 反対に山口敬之や安倍・菅政権は世界中に恥をまき散らしている。いくら逮捕状執行を抑えたって世界の常識がじっと見ている。 》 佐藤 章
https://twitter.com/bSM2TC2coIKWrlM/status/1308634000622190593

《 デジタル庁の平井たくや大臣は、ニコニコ動画の番組で福島みずほ議員に「黙ればばあ」とか匿名で投稿していたのがバレた人。大手新聞テレビは、 その件を平井大臣に問い詰めたんですか? 権力者の言いたいことをスピーカーのように拡散するだけで、聞かれたくないことを聞かないなら、単なる下僕です。 》  山崎 雅弘
https://twitter.com/mas__yamazaki/status/1308721295136141313