昨日の幻視者から発想したこと。此岸・彼岸がある。ならば他界があるなら此界もあるだろうと調べたが、手元の辞書には無かった。視界をそれに充ててもいいかな、と 勝手に思う。視界、それは見える世界。机上の辞書広辞苑には”見わたせる範囲。固定した眼または光学器械で見得る範囲。視野。” 絵画の範囲で考えているので、 此界ではなくて視界でもいいかな。ま。極私的語彙だから。
なぜこんなことを考え出したかというと、絵画における具象画・抽象画という区別は、もはや失効しているのでは、と思うから。それでいろいろな新用語を案出している。 幻視画(幻視者)に対する現視画(現視者)。幻想画に対する現実(実写)画。などなど浮かぶが、説得力に欠ける。二項対立か三項対立か。そんな問いの立て方もある。 また、そんな分類自体が失効している、という考えもあるだろう。つまるところ優れた絵画か否か、に逢着するのが落ち、か。
時代によって審美眼、美の規準、名作の規準が異なっている。そんな規準に耐えて生き残る絵画、また忘却されて再発見される絵画(ヨハネス・フェルメール、ジョルジュ ・ド・ラ・トゥール、伊藤若冲、河鍋暁斎、小原古邨…)。日本の場合半世紀足らずの忘却だけど、西洋は二百年だからなあ。驚く。
私が美術作品を鑑賞そして購入を考えた時、作者のことは全く考慮せず、この作品は半世紀後、私の死後には評価されるだろう、という視点で購入した。 美術作品の優劣の判断は、知識・経験・直観と言われる。乏しい知識と僅かな経験と勝手な直観。未来への賭けはとても面白い。
ふと気づいた。K美術館を開館したとき使った自家製用語「深層表現派」。拙い思考はこの四半世紀ほどで一周したような。それがらせん状に巡り、より深い思考あるいは 高度な思考へ到着したのなら幸いだが、成長したのか足踏みしていたのか。なんとも言えんなあ。なにせ他人様(ひとさま)からは「いたずら坊主がそのまま大人になった ような人」(『ひととき』2013年5月号「夏前に、富士のふもとめぐり」池内紀(おさむ)30頁)と書かれるからなあ。
ネット、うろうろ。
《 ガツーンと色を出してみました
凄い富士山 》 ケロ爺
https://twitter.com/kero_jiji/status/1325692288383635456
《 美術もまったく同じ状況。これは前々から知ってたけど、この「西洋人の都合」で自分がやることを変える気は僕はない。→「世界文学」の日本代表が夏目漱石ではなく 樋口一葉である理由: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる 》 会田誠
https://twitter.com/makotoaida/status/1325944535961096192
《 大英博物館の「Manga」展に見られたような、他ならぬイギリスのマンガやイラストこそが現代日本のマンガの直接の引用元であるにもかかわらず、 あたかも日本独自の伝統文化であるかのように誤読させる作り、そして『ゴールデンカムイ』をメインビジュアルに持ってくる理由などもこれと同じですね。 》 松下哲也
https://twitter.com/pinetree1981/status/1325949173150048256
《 太平洋に核物質を垂れ流そうという国が「非核三原則」とか言ってもなんの説得力もない。 》 烏賀陽 弘道
https://twitter.com/hirougaya/status/1325776157040521217
《 「コロナ対策を最優先させる」と言ってた今の首相が、就任早々始めたことが「人を動かさないといけない」と言ってGo Toキャンペーン開始だからね。 そりゃこうなるよ。他国とは真逆のこと、やってんだから。 》 ガイチ
https://twitter.com/gaitifuji/status/1325969036174217216
《 意図は問題ではないと思います
『政治は結果が全て』
安倍元首相や菅首相を始めとする政府自民党自らが公言している事です
検査抑制のプロパガンダを積極的に行い、その結果として、今の惨状がある
その事実だけで充分でしょう 》 らび
https://twitter.com/Jp3c5nUlUGZojKB/status/1325816487844536320
《 酷道・険道における『かもしれない運転』とは。 》 R774@まとめ屋
https://twitter.com/kendou774/status/1323483543855456257