第一次世界大戦で成金になった田島志一(1869 - 1920)と同様に成金になった人がいた。その後も同様。
《 田島 志一(たじま しいち)は、日本の実業家。審美書院を設立し、『東洋美術大観』『真美大観』などを出版した 》 Wikisouce https://ja.wikisource.org/wiki/%E4%BD%9C%E8%80%85:%E7%94%B0%E5%B3%B6%E5%BF%97%E4%B8%80
《 会社は順調に推移しさらに大正3年7月、第一次世界大戦が勃発、戦争は、わが国に空前絶後の好況をもたらした。〔中略〕
しかし、そんな絶頂期の田島を待っていたのが、大正9年(1920)3月15日の株式市場の大崩落、ガラ(株や商品相場などガラガラと暴落)である。 7年11月に第一次大戦が休戦、翌8年6月ベルサイユ講和条約調印、それまでの戦争大好況の終焉である。〔中略〕
大正10年2月1日、星の社長を始め、鳩山一郎取締役を除く、田島専務以下全役員は引責辞任し、万事を鳩山取締役に託したのである。 》 日本紙器業の歩み
https://www.tokyo-shiki.co.jp/history/index.html
《 因にこれは余談に渉るが、田島氏はその後審美書院を去り日本紙器会社を設立して一時実業界立志傳中の人と唱はれたが不幸にしてその晩年は余り掉はず、大正九年に易簀されたそうである。 》 【田島志一と審美書院】 山崎純夫
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/artbooks/kusa13.html