『ブルーノ・ラトゥールの取説』五(閑人亭日録)

 久保明教(あきのり)『ブルーノ・ラトゥールの取説』月曜社2019年2刷、「第四章 近代とは何か」を読んだ。

《 ラトゥールの溢れる修辞を省いて言えば、近代国家は、まさに人々(国民)と主権者(国家)を起点としながら厖大な非人間的要素(土地、貨幣、兵器、活版印刷、 資源、工場、物流等)のネットワークを大幅に組替えていくことによって発展してきた。同時に、そうした媒介と翻訳の実践こそが、人間の群れとそれを代表する主権者のみによって構成される「国家=社会」への純化を可能にする。 》 189頁

《 人間は、具体的な経験において世界の内側を生きていると同時に、それを論理的に超越した視点から世界を捉えることができる。 》 193頁

《 長きにわたって私たちを超越する世界を私たちが理解できることを保証してきたのは、実在する神であった。近代科学は、その保証の拠点を「人間」なるものに移動させる壮大な試みであるが、だからこそ、その原理的な問題設定の困難と切実さは神学とさほど異なるものではない。科学が解明する「自然」が人間の活動とは無関係に存在することは、神の代わりに「人間なるもの」を据えた近代という神学の侵すべからざる基盤であり、私たちにとってそれが覆される可能性を考えるだけで嫌悪をもよおしてしまう暗黙の前提なのである。 》 193-194頁

《 近代という機制は、自然と社会への二種類の還元、人間と非人間をめぐる二種類の代理によって構成される。 》 195頁

《 近代化とは、こうした「前近代的」な自然と社会の混合を禁止し、理性に基づく社会的実践と事実に基づく科学的実践を両輪として、より自由で豊かな世界を人々が 作りあげてきた過程である。だがラトゥールによれば、近代化の実効性は、まさにそれが禁じていたはずの「自然」と「社会」の混同によって生まれている。 》 196-197頁

《 私たちは、「自然」と「社会」を峻別し、両者を極限まで遠ざけるからこそ、科学が解明する「自然」という、社会の外側にある領域からやってくる科学技術によって社会が極限まで変化するという期待や恐れを抱くことができるのである。
  近代人は、非近代人と同じく翻譯の実践に携わっているが、それを否認するためにこそ、非近代人を近代的な純化を守らない「非合理的」な人々として捉えてきた。 非近代的な営為についてよく知らない場合でも「どこかにいる呪術や精霊を信じている人々」を想定して非難することができるのは、それと大して変らない翻訳の実践に 自らが日々携わっているからである。 》 201頁

《 一九世紀の進化主義的人類学を批判し、各々の文化/社会が独自の体系と価値を持つことを論理的かつ倫理的に肯定しようと試みてきた二〇世紀の文化/社会人類学は、社会的事実への還元を常に批判しながら、均質な自然の実在(素朴実在論)を分析における暗黙の前提としてきたのである。
  だが、ラトゥールによれば、「自然」とは西洋社会がその一般的な枠組を構築してきたものにすぎない。にもかかわらず自然科学は西洋の「文化」とはされない。 科学的知識に対応する自然の事実が「西洋文化」の産物でしかないのであれば、異なる文化を扱う人類学的な比較の基盤が失われてしまうからだ。自然についての西洋社会の 見解にすぎないとも言えるはずの自然科学的知見は、自然を正確に捉える知識とされ、諸文化が自然に与える表象とは峻別される。「奇跡的なことに自然は西洋社会の前でそのベールを脱ぐ」のである。 》 203頁

《 非言語的な諸アクターはそれ自身において発話=分節化しているのであり、だからこそ言語という虚構[FIC]は、それらの分節化の連鎖に屈曲を与え、諸アクターに 新たな形象を与えることができる。 》 214頁

《 透明な対応を希求する近代的発想[DC]を退けて存在の諸様態に目を向ければ、この世界に存在する事物と人間が用いる言語の関係も変化する。 》 215頁

《 前述したように、種々の存在様態は、人間に限定されない諸アクターが特定の仕方で織りなす関係性の効果である。したがって、意味がそうであるように、価値もまた人間の専有物ではない。価値は世界に外在する視点から与えられるのではなく、世界に内在する諸関係の只中において動的に生みだされる。ここからラトゥールは、ノンモダニズムに基づいて「近代なるもの」を組み直していくために、様々な存在様態を追跡していく。 》 217頁

 なんだか訳のわからない引用になったような。内容がじつに豊富なので・・・(わかっているのかな)。それにしても風がやたらに強い、夜の今も。

 ネット、うろうろ。

《 さっそくブルーノ・ラトゥールが「人新世という概念は、近代や近代性という概念に代わるものとして生み出されたもののなかでも、哲学的、人類学的、 政治的な概念として、これまでにないほど決意的なものである」と反応した。ラトゥールは人類社会を「変化する作用点」がつくるアクターネットワークとして説明しようと した社会人類学者だ。 》 松岡正剛の千夜千冊「人新世とは何か」
https://1000ya.isis.ne.jp/1760.html

《 https://youtu.be/fK1iCxuW-G0 元旦にヴェネツィアの海と突堤の写真をツイートしたとき、唐突だがこのすごい歌が頭をかすめた。バブル期の前に流れていた曲だが、 40年後のコロナ期になってさらに切実に響く。自然発生的シュルレアリスム。ソウルも呪もある。「この体には自分がいる」のだ。あきらめない。★ 》 巖谷國士
https://twitter.com/papi188920/status/1345936055837442048

《 80年代から感染拡大しはじめた「ゆるふわ」ウィルスみたいな歌とくらべて、これは別の時代・別の国の歌のようでもあるが、いま、もういちど、舟を出すために聴く。 ★
  #ガースーは補償をしてGOTOとオリンピックをやめてから退散せよ 》 巖谷國士
https://twitter.com/papi188920/status/1346013365743677441

《 嘘がすぎるでしょう。

  「明細書の発行はない」
  ↓
  「明細書が(存在し)ないとは一度も言ってない」
  ↓
  「事務所にはない」

  呆れる言い訳を重ねる前に、国会で『ホテルにはある』と答弁したのですから、ホテルに再発行依頼を。そして国会に提出するだけです。 》 蓮舫@RENHO・立憲民主党
https://twitter.com/renho_sha/status/1346889223492620288