『性の歴史 III 自己への配慮』七(閑人亭日録)

 ミシェル・フーコー『性の歴史 III 自己への配慮』新潮社1987年初版、「結 論」を読んだ。『性の歴史 III 自己への配慮』を読了。格別抜き書きすべきことはない。 ふう。どこまで理解が届いたのか。フーコーの執筆の動機が気になる。『第四巻 肉の告白』にそのヒントを見出すだろうか。

 朝、知人夫妻の車に友だちと同乗、富士宮市の白砂勝敏さんの自宅アトリエを訪問。二階のリニューアルされた展示室は、素晴らしい雰囲気。作品が瑞々しく映える。 そこへ画家の田村英二さんたちも来訪。久闊を叙す。
 https://shirasuna-k.com/
 http://www.tam-tam.ne.jp/gallery/gallery.html

 ネット、うろうろ。

《 ありがとう。最近の翻訳には、最近の怪しい日本語の口調に合わせて「読みやすく」する傾向もあるので、新しい日本語(じつは本来の日本語の可能性)を拓くことが 少ない。最近の紋切型思考に変換してしまうから「わかりやすく」はなるけれど、原著からは遠ざかることもある。日本の近代の問題ですが。★ 》 巖谷國士
https://twitter.com/papi188920/status/1365143319920005122

《 じつはそうです。日本の近代文学の主流(あくまでも主流)は「近代的自我」や「モダン風俗」にとらわれつづけた。オブジェをとらえた書き手は少ない。 戦前にオブジェを発見した瀧口修造はだから「シュール」などではなく、シュルレアリスムを体現した。戦後の書き手にも、主流ではないが何人かいる。★ 》 巖谷國士
https://twitter.com/papi188920/status/1365223118399102981

《 川崎市岡本太郎美術館で、岡本太郎現代芸術賞展を見ました。全体に「集積感」や「アウトサイダーアート感」が濃厚。岡本太郎賞の大西茅布さんは朝日新聞紙面でも 紹介されているので、こちらは岡本敏子賞のモリソン小林さんの展示。木彫ではなく、金属による植物。これも超絶技巧。4月11日まで。 》 大西若人
https://twitter.com/onishi_waka/status/1365249785226092545

《 岡本太郎現代芸術賞ってのはさ、新宅さんみたいに論理的に思考して現代アートを実践しようとした若者を否定し続けた訳なのよね。なんというか、 それは進化の否定な訳ですよ、現代アートなのにおかしいですよね。受賞した方々には申し訳ないけど、低俗美術の祭典にしか見えないのよね。 》 笹山直規
https://twitter.com/SuperGood2021/status/1365264040348409860

《 TARO賞は椹木野衣支配下で、ロウアートの原始美術祭、悪い場所、バカバカバカ〜!!(当方落選経験アリ) 》 笹山直規
https://twitter.com/SuperGood2021/status/1365265975826804740

《 だが中原浩大さんも話していたけれど、美術において美術の社会的受容やその制度は文化によって異なるけれども、実作者どうしで文化的齟齬を感じないのは、 アーティストが社会的な、すなわちローカルな、社会的価値観や局在的注意力によってではなく、大脳右半球的な、包括的意識で制作しているから。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1365240408423297025