『手の倫理』二(閑人亭日録)

 伊藤亜沙『手の倫理』講談社選書メチエ2021年5刷、「第二章 触覚」を読んだ。

《 議論に入る前に確認しておかなければならないのは、西洋の触覚論には偏りがあった、ということです。すなわち、触覚が語られるときには、石や木のような物を対象と した触覚が中心で、人の体を対象とした触覚はほとんど論じられてこなかったのです。 》 54頁

《 西洋哲学の文脈において触覚がどのように理解されてきたかを知るうえで、まずおさえておきたいのは、そもそも触覚が「劣った感覚」として位置づけられてきた、 ということです。 》 55頁

《 病のときほど危機的ではないにしても、私たちは、日々の生活のなかで自分の輪郭を見失い、不安にかられることがあります。そんなとき、ふと何かに包まれたり、 何かを抱きしめたりすることで、精神的な安心を得たり、確かさの感覚を取り戻したりすることがあります。さわることでさわられ、そのことによって自分の存在を確認する。 私たちが輪郭を見失ったとき、触覚の対称性が、確かな安らぎを与えてくれます。 》 63頁

《 自然が作り出したものの内部にある、生命や魂のたえず動いてやまない流れ。この「自然のことば」を聞くことが触覚の役割であり、それを形にするのが彫刻という 表現であるとヘルダーは言います。 》 75頁

 白砂勝敏さんの木彫椅子について書いた拙文「見出されたかたち」を思う。
 https://shirasuna-k.com/gallery-2/wood-sculptures-chair/

 午後一時、虫と草の精密画を描いている知人の車に友だちと同乗、美術倉庫へ。不要な十数点の額を、再利用する知人の車に運ぶ。倉庫にある白砂勝敏さんの制作した椅子 (上記)に座って、「いいねえ」と彼。じゃなければ購入しないって。自宅へ招き、三人で審美書院の豪華美術本の極精細多色摺り木版画を鑑賞。初めて見た知人は驚嘆。 技術への視線が鋭い所を突いていて、感心。奥野淑子さんの精緻極まる木口木版画に驚かれる。午後四時お開き。きれいな空。

 ネット、うろうろ。

《 中央本線の沿線はすっかり春の景色です。梅が満開できれいです。リニアって、この景色を見ないで地下を走るんですよね。それ、ただの「移動」であって、 もはや「旅」じゃないですね。 》 内田樹
https://twitter.com/levinassien/status/1369435252033261574

《 原発事故から学ばない日本…「規制の虜」を許す社会構造とマインドセット/黒川 清 》 読売新聞オンライン
https://www.yomiuri.co.jp/choken/kijironko/ckpolitics/20210305-OYT8T50041/

《 国の中心に「科学」がないことが大きな要因ですね。科学のない頭で「数字」と「経済効果」でものを考えるとこうなるのではないでしょうか。 》 Aqua
https://twitter.com/aquaresearcher/status/1369429092999823370

《 すごいよなー、山田真貴子広報官ってスガ父子の言うこと何でも聞いて東北新社外資規制違反をスルーして行政歪めた疑いがあるのに、給与一部自主返納して入院して 辞職して後は民間人だから調査できませんって総務省が言っておしまいなんだよ。ほとぼりが冷めたらシレッと天下りするね、必ず。 》 中野晃一
https://twitter.com/knakano1970/status/1369128891357351943

《  日本の中から見ていても不思議でなりません。なぜ、芸人、キャスター、官僚、政治家、閣僚、医師、感染症分野の教授までPCR検査を貶めるのか?  分子生物学関係者はさすがにそういう人はいませんがSNSでは皆沈黙している。本庶、山中先生ら錚々たるメンバーが声をあげても事態があまり改善しなかった。 》  川上浩一
https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1369316874341715969

《 地震、雷、火事、ネタバレ #今日本人が最も怖いモノ 》 笹山直規
https://twitter.com/SuperGood2021/status/1369245186937810949