『哲学漫想』三(閑人亭日録)

 山崎正和『哲学漫想』中央公論社2021年初版、「哲学漫想3 リズムの哲学再考──反省と展開への期待」前半を読んだ。

《 日常の行動が目的の連鎖のなかに繋がれ、つねに先を急ぐ傾向を持つのにたいして、練習はこの目的連鎖を遮断して運動の単純な反復に集中し、その反復にリズムが 宿るのをひたすら待つのであった。 》 67頁

《 考えてみれば、身体が直接に感じているのはことごとく現象であって、常識や科学のいう「刺激」ではない。 》 70頁

《 内発的に生まれたリズムが肉体に乗り、そこに何らかの全体性をつくりうるのは、むしろそれが肉体の限られた局所に乗った場合だけである。 》 72頁

《 事物は無数のアスペクト(側面)を含む複雑きわまりない存在であり、しかもそれを要約して単純化すると観念に変わってしまう厄介な存在である。 》 76頁

《 繰り返して念を押すが、事物とその把握との関係は、事物とその観念の関係と同じではない。 》 77頁

《 事物の把握の問題が難しいのは、これが知覚とも認識とも呼べない特殊な構造を持っているからである。すなわち、知覚や認識が含蓄している主体と対象との距離、 両者のあいだの志向的な関係がここにはまったく期待できないのである。身体は現在に生きるかぎりその時間に巻き込まれていると述べたが、これをいいかえれば、身体は 現前する事物に巻き込まれているということにほかならない。[中略]一片のパンですら、身体は感慨なしに事物に触れることはできず、その灌漑を制御することもできない のである。 》 78頁

 力尽きてきょうはここまで。

 一昨年からの懸案が午後、無事終了。ふう~。よく乾いた洗濯物を取り込んで昼寝~する直前に電話が鳴る。しかたない、外出。打ち合わせを終えて帰宅。そこへ来客。 すぐさま次の事業の話。これはいい話。一気に気力回復。現金だなあ。コーヒーが旨い。
 薄明から一転、陽光のもとへ、の一日だった。終わりよければ未来が開かれる。
 ネット、うろうろ。

《 私の人生そのものがエイプリルフールでございます。 》 ぺもぺも(旧・後4両は金沢文庫止まり)
https://twitter.com/moka_yokohama/status/1377381984025018372

《 虚偽答弁まん延防止策こそ 》 buu
https://twitter.com/buu34/status/1377454346154115072

《 マイナンバー事業に8800億円。東京五輪すでに1兆6440億円。 》 ふらの
https://twitter.com/parkour_sky/status/1377244666655961092

《 昭和を振り返る美術の展覧会は過去に沢山あったし、これからも様々な人達によって企画されるだろう。ましてや平成はまだ終わったばかりだし、 椹木さんのキュレーションだけで完結するようなものではない。 》 笹山直規

https://twitter.com/SuperGood2021/status/1377229873161195524