『ミシェル・セール』(閑人亭日録)

 清水高志ミシェル・セール  普遍学からアクター・ネットワークまで』白水社2013年初版を少し再読。読んだことは覚えているが、内容はすっかり忘れている。 初読時の日録を垣間見ると苦心してるわあ。以前のことは振り返らず初読の気持ちで。

《 現実の世界は多様性に満ちているが、「多なるもの」もまた、それほどはっきりした外貌をもってはいない。「私たちは多について保証されていないように、 一についても保証されていない」。この双方の曖昧さをみとめ、それが扱われる場合に人為的な要素が加わるものも織り込んだうえで、現実の世界についてどう思考するか。 世界の多様さや複雑さの多くの部分が、通常の私たちの思考からは漏れ出ている、と彼は考える。 》 「第1章 『生成』」 30-31頁

《 普通の情報、「括り」から溢れた多様性は、こうした意味での主体よりも大きな拡がりをもっている。さらに言うなら、通常の主体は、「多の中にある」。ここでは、 主体そのものや対象に主体が当てはめる「括り」と、対象とのあいだで、包摂関係の転倒が起こっているのだ。 》 「第1章 『生成』」 32頁

《 「あるがままの多」は、主体がそれに判断を加える以前からある。それは、なんらかの局限された対象と言うに留まらない拡がりをもっている。 》  「第1章 『生成』」 32頁

《 これに対し、『生成』でセールが語ろうとする「対象は、個別な対象でありながら、普遍な「括り」がそこに何通りも刻印されるようなものである。それらの「括り」は その対象にあってはあくまでもその対象の「一つの切り口」であって、それぞれの「切り口」に応じて、対象は異なった面をあらわす。 》 「第1章 『生成』」 34頁

《 対象は媒体として捉えられ、そこに複数の「括り」が同時に刻印され、包み込まれる。個別的なものが、複数の普遍的な「括り」の媒体になる。この場合、それら 普遍的な「括り」を対象に与えようとする者、つまり対象に対置される主体もまた、そうした対象に同時に関わる複数的なものとして、捉えなおされねばならないだろう。 》  「第1章 『生成』」 34頁

 初っ端からドカンとくる。

 ネット、うろうろ。

《 電柱でござる。 》 階段巡りツイッター
https://twitter.com/kaidanmeguri/status/1388862809484652550

《 これを予測できないのが現政権です。

  運行ダイヤ変更、鉄道会社「混雑が増して密を招き逆効果」 : 経済 : ニュース : 読売新聞オンライン 》 なかつ
https://twitter.com/tho9vY5gIpCmPbw/status/1388834218575376394

《 英国はN501Y(B.1.1.7株)の襲来を、約4ヶ月の厳しいlockdownと、頻回検査、プラス、ワクチン。それと、なんと言ってもサラリーの80%(最高約38万円まで。 月額で、です!)の補償で乗り切りました。

  この、どれも無い日本はどうなってしまうのか?
  政府や知事は、即座に対策を! 》 Koichi Kawakami, 川上浩一
https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1388515917831696386

《 お祭り気分で聖火リレー続けてる限り誰も外出やめません。政府は即刻五輪を中止にすべき。さらにしっかり補償すれば改憲などしなくとも国民は外出自粛します。
  #聖火リレーの中止を求めます
  #東京五輪の中止を求めます
  #変えるべきは憲法ではなく自公政権 》 鮎兵衛
https://twitter.com/2209Ayu/status/1388885451897929729

《 なぜ人々が外出を自主規制しないのか?などとニュースでやっているが、当たり前でしょう。これから国がオリンピックをやると言って、 その予行の聖火リレーまで元気にやっているから多くの国民が恐怖感など持てていないからでしょう。

  だから政府のやっていることは殺人罪だと言っているのです。 》 エリック C
https://twitter.com/x__ok/status/1388722452205821956

《 結局、海外からの五輪関係者の行動規制はなにもしないということだ。多様多種のウィルスが東京の街に持ち込まれ、彼らも東京ウィルスに感染し、 選手村も同じことになるだろう。それでも開催したら日本人はテレビで五輪を楽しみ自民の支持率は上がると政府は考えているのだろう。 》 森岡正博
https://twitter.com/Sukuitohananika/status/1388881271133114371

《 暗渠化された渋谷川を下から見上げられる場所に来た 》 音無恵実
https://twitter.com/Megumi_7Local/status/1388391772821213186

《 実はそうではないのだ。そしてこのようなものが、ギリシャのディアレクティクの目指したものである。包摂とか、全体と部分とか、同じと異なるとか、一と多とか、 形相と質料とか、そんなものを次々引き出して無限に多様な議論をする。排中律で排された第三者こそをあぶり出す。西田の「私と汝と彼」 》 清水高志
https://twitter.com/omnivalence/status/1388886064018857987

《 というロジックにもそんなところがある。これと比べると、ヘーゲル弁証法などはとても単線的で単純である。セールもまた、さまざまなオペレーターを駆使しながら、 あのふらふらしたエセーのなかで実践的に、そうした思考を展開しているのだ。 》 清水高志
 https://twitter.com/omnivalence/status/1388886065289723906

《 こういう薄暗い路地を進んだ先の空間で、古本や明治大正期の薬品瓶、人体解剖図を売りつつ、大して美味しくもないコーヒーを出しながら廃墟や 各地で聞き取った話を交換する妖しい店の主人になりたい。 》 道民の人
https://twitter.com/North_ern2/status/1388670052057026562