原画、画稿→複製木版画(閑人亭日録)

 日差しが陰ってくると、部屋を涼しい風がさーっと吹き抜けてゆく。これは気持ち良い。午後の暑さがあればこその清涼感。暑さ寒さも彼岸まで。コーヒーが旨い。

 以下二つのツイートについて。

《 友人が百日祝いを済ませたばかりの娘さんの写真を送ってくれた。産まれた子供はすでにオリジナルで、コピーではない。その存在をオリジナルにしている働きは、 作品がつねにオリジナルとして生起するのと同じである。すなわち、先行情報が、自己複製プロセスで、変異、変形、変換をおこすということ。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1440704011041005571

 上記ツイートに、田島志一の審美書院が手掛けた、古典絵画の極精細多色摺り木版画による複製画がなぜ琴線に触れるのかの手がかりを見出した。
 先行情報(古典絵画など)を木版画で忠実に複製する工程で、関わる職人の間で変異、変形、変換が起きるということ。その端的な一例が、小原古邨の木版画に見られる。 この場合は無自覚ではなく、自覚して変換がなされている。例えば『群椋鳥』。画稿では六羽だったのが、木版画では四羽になっている。『四十雀』では、画稿では 幹に絡む蔦が深い臙脂色なのに対して、木版画ではあざやかな赤色に。以上、図録『小原古邨の世界』平木浮世絵美術館1998年刊による。小原古邨の場合、仕事では 彫師摺師のほうが地位が高かったのだろう。絵のこともよく知っていたようだ。実際、画稿よりも木版画のほうがずっと魅力がある。というか、画稿は要らない。
 http://web.thn.jp/kbi/koson.htm
 ネットに縁のない時だったので、平木での展覧会は閉会後に知り、美術館を訪れて図録を購入。聞けば閑古鳥が鳴いた、という。だろうなあ。2000年のグーグルの検索 「小原古邨」では、たった18件だった。日本画家事典にも未掲載。二十年足らずで時代は変わった。きょうの検索。
  小原古邨   約 258,000 件
  ohara koson 約 1,220,000 件

《 作品制作は、すでに生命の仕組みをなぞっていたことがわかる。このオリジナルを生みだす「変異/変形/変換」という働きについては、 「先行作品たちが表現しなかったものの受胎」という説明もしてきたけれど、そんな前後関係で語る必要すらなさそうである。ただたんに、作品は〈生〉に倣うのである。 》  中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1440704079164940297

 上記ツイートには、白砂勝敏さんの木彫椅子を連想。

 ネット、うろうろ。

《 ヒマラヤの中秋の名月。真夜中に外で本が読めるくらい明るい。 》 上田優紀 / 写真家
https://twitter.com/nature_yukiueda/status/1440261750729838601

《 醜聞の日だ!醜聞を探さなきゃ!! 》 貴族
https://twitter.com/hasegawa_fusao/status/1440887863105646594

《 明治36年に計画された府県廃置法律案、相当の県民がブチギレそう 》 ニチャード・リクソン/Nichard Rixon
https://twitter.com/nixon1972viet/status/1439967202334048266

《 「アメリカでは…今回の総裁選への関心は皆無に等しい」
  「アメリカの政策立案者の間には、日本の保守的な官僚を後ろ盾として自分たちに忠実である自民党の議員たちが、永久に政権を維持するとの信念が深く浸透している」

  はい、これが永続敗戦ってことね。 》 白井 聡/Shirai Satoshi
https://twitter.com/shirai_satoshi/status/1440591510899081229

《 ペーパーなら、嵩張るとか言い訳できるかもしれないが、デジタルデータを捨てるというのは、残っていたら都合が悪いということ以外に理由がないでしょ。 隠蔽ですよ。 》 平川克美
https://twitter.com/hirakawamaru/status/1440533669408481289