『列島祝祭論』六(閑人亭日録)

 安藤礼二『列島祝祭論』作品社2019年初版を少し読んだ。メモ。

《 『日本書紀』を読むためには、同時並行する複数の物語を比較対照した上で、次々と「解釈」を下し、「本文」を確定していく必要があった。歴史は、解釈によって 変更され、あらたに産み落とされるのだ。 》 「国栖(くず)」91頁

《 天武は、畿内各地の──しかも、おそらくは辺境の──諸芸能を宮廷に集約させる。さらに、天皇の権力が「家」として世襲されるように、その技を伝えていく芸能の 「家」を創出させた。なぜ、このように芸能を重視したのか。芸能によって地上にもたらされる霊的な力は、現実の諸制度の基盤となった物質的な力である武力を凌ぐもので あったからだ。天皇のもつ力が等しかったからだ。 》 「国栖(くず)」96頁

《 「翁」の起源、すなわち「天皇」の起源は、一方では、太古の力、野生の力が必要だった。しかし、それだけでは充分ではなかった。太古の力、野生の力を、身体の論理 にして自然の論理として再構築しなければならなかった。過去と現在を通底させ、その可能性を未来にひらかなければならなかった。
  そのために必要とされたのが、列島に住む人々にとって、これもまた時間的にも空間的にも「外」から将来された最新の身体術、「道教」の教えだった。 》  「国栖(くず)」100頁

《 「天皇」という称号は、天武朝になって、はじめて使用されるようになったという。 》 「国栖(くず)」101頁

 昨日空いた本棚の隙間に本を入れてゆく。本が減った感じがしない。

 ネット、うろうろ。

《 『鈴木華邨』 》青い日記帳
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=6383

 小原古邨の師鈴木華邨の絵は口絵木版でしか見たことがないが、上品。
 http://web.thn.jp/kbi/kutiee.htm

《 岡倉天心を筆頭とする、橋本雅邦、横山大観菱田春草、下村観山ら日本美術院メンバーや、速水御舟今村紫紅鏑木清方小林古径前田青邨川合玉堂など今では 美術館で大きな顔をしている絵師たちと、同じ時代に活躍しながら、何故、鈴木華邨や渡辺省亭は忘れ去られてしまったのでしょうか。

  その理由を『鈴木華邨 花に鳴く鳥、風わたる余白』の中で佐藤道心氏(東京藝術大学教授)は、「描」(ドローイング)と「塗」(ペインティング)の違いにあると 指摘しています。

  つまり「塗」(ペインティング)に軸足を置いた近代日本美術史に名を残した大家たちは名を成し、「描」(ドローイング)にこだわった華邨たちは忘れ去られる。 何とも理不尽なことです。 》

 そういうことか。

《 これはすばらしい記録。P波は液体中に伝わるのでサカナがびっくり。その後のS波は水中には伝わらないのでスルー。トリは大きく揺れるS波で反応。 地球科学的にすばらしい記録です! 》 MOURI Katsuhiro
https://twitter.com/fairbanks_m/status/1446809770002841606

《 コロナが今は落ち着いてるけど、自公政権が、国民を自宅に放置してたことを、我々は決して忘れない。
  国民が苦しんでるる傍らで、五輪わーってやってたことも、決して忘れない。
  開催意義を説明せず、あれだけ反対したのに、赤字だけ国民に押し付けようとしてることを、決して忘れない。 》 Hiromi1961
https://twitter.com/Hiromi19611/status/1446812214304722946

《 右回りか左回りか悩む看板やな 》 階段巡りツイッター
https://twitter.com/kaidanmeguri/status/1446714279051227142