『唯識・華厳・空海・西田』八(閑人亭日録)

 竹村牧男『唯識・華厳・空海・西田』青土社2021年初版、「第六章 空海の哲学(ニ) 動態的曼荼羅の風光」を読んだ。

《 この即身成仏ということは、密教の最大の特徴であろう。このことは、すでに自己の本質が仏そのものであることに依拠したものである。 》 201頁

《 空海密教真言宗という。それは、陀羅尼のようなものを重用するからだけではない。絶対者のような法身仏の説法は真実の言葉であるからである。その際、 『弁顕密ニ教論』に、「言、秘奥なり」と言われるように、密教の教えはその語の表面的な意味のみでは了解されず、より深い意味を汲まなければ真意は知られないような ものである。そのように、言語が時に暗号のように用いられ、すなわち密号として用いられる。ゆえに密教なのである。 》 202頁

《 密教経論の言語に関して、空海は字相と字義を区別して見なければならないと言っている。字相とは語の表面的な意味、字義とは語の表面には隠れている深い意味のこと である。(引用者・略)密教の文献、空海の著作を読む際には、必ずやその字義を読み込むよう注意しなければならない。この独自の言語哲学に、密教の特徴の主たるものを 見ることができる。 》 202頁

《 密教における言語では、字(音素)・名(単語)・句(文章)それそれのレベルで、一つのものが無辺の意味・道理を表現しているという。 》 205頁

《 そもそも字は種字(種子)となって、それぞれ諸仏諸尊を表わすと考えられている。ゆえにその字(音)を唱えれば、当の仏・菩薩との一体化が実現するとさえ 見なされている。いわゆる視覚的に造型された文字もまた、当の仏・菩薩を表わすことは言うまでもない。 》 205頁

《 すなわち如来の自内証の世界を、三密門を説くことによって明らかにするのだという。この簡潔にして要を得た説示は法身説法の根本と受け止めるべきであろう。 言うまでもなく三密とは、衆生の身・語・意の三業に対応した、仏の身体的行為、言語的行為、心理的行為のことである。この仏の活動のありようを明かすことが、密教の 説法の目的なのである。それは後に見るように、その三密が自己そのものに具わっている、そのことを明かすことでもあるであろう。 》 209頁

《 「衆生本有の曼荼」とは、法曼荼羅・三昧耶曼荼羅・大曼荼羅・羯磨曼荼羅の四種曼荼羅のことに違いない。この曼荼羅とは、輪円具足ということで、すべてそろって いるということ。全集合のことである。 》 211頁

《 そうすると、四種曼荼羅の大曼荼羅・法曼荼羅・三昧耶曼荼羅とは身・語・意のそれぞれの方面の全集合を表わすものと言えよう。羯磨曼荼羅とは活動のことであるから、 それらの活動ということになる。ゆえに四種曼荼羅で、実は仏の身・語・意の活動をいうことになる。それはまさに身密・語密・意密の三密にほかならない。 》 212頁

《 ここに、仏の三密と衆生の三密とが平等であることを見るべきなのである。
  このことは、衆生には仏がいることを意味している。(引用者・略)それは人間界のみならず、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・声聞・縁覚・菩薩・仏の十界のすべてを 包摂しており、逆に十界のすべてにおいて五智・四身はすでに成就しているのである。ただし、無明・煩悩の厚・薄によって、そのことに気づかなかったり多少、気づいたり するのであろう。そういうことであれば、十界の衆生のすべてに三密はあるということになる。
  第三に、ある一個の仏の三密と、他のあらゆる諸仏諸尊(衆生も含む)のそれぞれの三密が平等であることを意味していることも理解すべきである。》 213頁

《 『即身成仏義』が明かす「即身成仏」の意味は、あらゆる他者と重重無尽の関係を織り成す即身として、すでに成仏しており、かつ密教の教えにしたがえば、現世の うちにそのあり方をまどかに自覚・実現して速疾に成仏しうることと言うべきなのである。この「即身成仏」の理解は、「即身成仏」の語の表面的な了解(字相)に とどまらない、それに隠された意味(字義)を深く究明した、空海の実に独創的な解釈である。 》 231頁

《 以上、空海の人間観・世界観によれば、我々の自己は、実に「重重帝網のごとくなる即身と名づく」であり、つまりあらゆる他者を自己としているのである。すなわち、 あの絵図の金剛界胎蔵界曼荼羅にあるようなあらゆる諸仏・諸尊ないし一切有情を自己としているのである。 》 232頁

《 胎蔵界は『大日経』に基づき、金剛界は『金剛頂経』に基づくものである。前者は理を表わし、後者は智を表わすといわれている。理とは一切の存在の本性のことであり、 あらゆる存在の根源である。 》 235頁

《 もっとも、この二つの曼荼羅の絵図の様式ないし画面の構造は、実は根本的に異なっている。 》 236頁

《 ともあれ、密教においては、成仏とは自己即曼荼羅を自覚・体現することなのであり、しかもその曼荼羅には、四種曼荼羅等も包含されていよう。 》 238頁

《 「声字実相」によって明かすべき空海密教における覚りの世界=自内証の世界とは、このような重重無尽の三密の交響の中での動態のことなのである。自己即曼荼羅曼荼羅即自己ということは、この無限の動態において了解されるべきことだったのである。
  また、そのことを明かす言語は、一字に多重・無辺の義を表わすようなものでなければならず、さらに五感の対象の一々も、事事無礙のあり方を表現していて、 その意味で実相の表現そのものにほかならないのであった。 》 240頁

《 考えて見れば、事とは客観的事物なのではなく、主客相関の一事実というべきであろう。それは、まさに各人のいのちの一瞬一瞬である。その各事が、重重無尽の関係の 中にある。そこを人(にん)ととらえ返して表現したものが曼荼羅であると考えられる。密教は、華厳思想の世界観を、いわば立体視し動態化したものと見ることができよう。  》 240頁

 ふう。どこまでわかったか。一読では無理~。

 ネット、うろうろ。

《 山の中の廃校に16万枚のレコード。長崎の音浴博物館が凄すぎた話 》 Y氏は暇人
https://twitter.com/y_ta_net/status/1454619824135413770
https://twitter.com/y_ta_net/status/1454619905702051843

《 香港がああで、台湾もこうで、ミャンマーアフガニスタンもそんなことになっている中で、日本だけノホホンと幸せでいられるはずもない。『真説ルパン対ホームズ』 を書いたとき、1900年パリ万博に込められた恒久平和と科学の進歩への夢に感動したけど、その十数年後にアレかい、と暗然となった。 》 芦辺 拓
https://twitter.com/ashibetaku/status/1455133302201798663

《 国会における絶対安定多数という名の、未来に対する絶対不安定要素。 》 ウラゲツ
https://twitter.com/uragetsu/status/1454851680239902720

《 政治参加は投票に限られませんが、投票の権利ひとつとっても、投票箱に紙を入れる権利だけで十分なはずはなく、候補者と政党の政策が示され、論争がなされ、 有権者に十分な情報と熟慮の期間が与えられて始めて、投票の権利は実質をもつはずです。それがないところには、民主主義などないと思います。 》 ゆと里
https://twitter.com/Yutorispielraum/status/1455155149467381761

《 たとえば、わたしはもういいやと思っても、人生折り返し地点は過ぎてるだろうけど、子供や若者はそうじゃない。大人が、もう諦めることは罪深いと思うのです。 でも、疲れたり、折れることはあるので、気持ちがそうなった人はゆっくり休んでください。 》 近藤史恵
https://twitter.com/kondofumie/status/1454986380468101129

《 「撤退のために」を読んで光安さんが日本再生のためのプランを提示してくれました。http://nagaya.tatsuru.com/mitsuyasu/2021/11/02_0911.html  こういうふうにいろいろな立場の方が、それぞれの経験知を持ち寄って「日本再生プラン」について衆知を集めることを僕は願っております。 》 内田樹
https://twitter.com/levinassien/status/1455327859497586691