『デューティーフリー・アート』五(閑人亭日録)

 ヒト・シュタイエル『デューティーフリー・アート:課されるものなき芸術 星を覆う内戦時代のアート』フィルムアート社2021年初版、 第七章「デューティーフリー・アート」を読んだ。これまたスリリングにしてエキサイティング。能天気な夢想が破られる。ヒリヒリする。とりあえずメモ。

《 多くの学術論考を乱暴に要約すれば、こうなる。コンテンポラリー・アートを成立させているのは、新自由主義の資本だけでなく、インターネット、ビエンナーレや アートフェア、多元的な歴史の構造、ますます広がる所得格差だ。そしてこのリストに、「非対称戦争」(それは富の大規模な再分配が起こる一因である)、不動産投機、 マネー・ロンダリング規制緩和後の金融市場を加えよう。 》 136-137頁

《 こうしてコンテンポラリー・アートは、グローバルに共有可能なものの代理(プロキシ)、共通の基盤や時間性の、または空間の欠如の代理(プロキシ)となす。 なおかつそれは、場所の拡大と説明責任の欠如を特徴とし、都市空間を再編して世界中の街を一変させる、大規模な不動産事業の手管によって機能する。およそ一○年の 時間差で、戦争がもたらす富の再配分から美術市場のブームが巻き起こるという意味で、コンテンポラリー・アートとは内戦の現場ですらある。 》 137頁

《 他方でコンテンポラリー・アートは、国家主権の正規ルートを回避する、以前にはなかった現実空間をつくり出してもいる。その今日的な例がフリーポートの 美術品倉庫だ。 》 137頁

《 巨大な美術品倉庫スペースが世界各地で建設中である。それは言ってみれば「高級緩衝地帯」、トレードされたとたんに収蔵庫から収蔵庫へと美術品がシャッフルされる、 そんな租税回避のエリアにある。こうした「オフショア美術館」や「治外法権ミュージアム」とでも言うべき倉庫は、コンテンポラリー・アートの最重要スペースの一つに なっている。 》 141頁

《 「デューティーフリー・アート」な芸術という概念は、国民国家の文化モデルに対してある決定的な強みを持っている。つまりデューティーフリー・アートには、義務 (duty)を持たないという大前提がる。行為、表象、教条性、価値の体現。こういったことに対し、何ら負うところがないのだ。 》 184-185頁

 七十一歳を迎えて体力の衰えを実感。去年と同じことができない。これが老化か。無理は禁物。一物は・・・お荷物?

 ネット、うろうろ。

《 《覚えていてほしいこと》
  抗原定量検査:
  機器:~2000万円
  試薬代:100回分60万円
  感度:RT-qPCRの1/1000程度
  処理速度:~100検体、~1時間

  RT-qPCR検査
  機器:~400万円
  試薬代:100回分10万円
  感度:抗原定量検査の1000倍
  処理速度:~100検体、~1時間 》 Koichi Kawakami, 川上浩一
https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1460424304647041024

《 一部は成功するが多数は失敗するからこそイノベーションなんだし、せっかく得た差異もすぐに研究されて埋められる。お祭りで一発逆転の街おこしなんてのも だいたい同じ理屈でコケます 》 貴族
https://twitter.com/hasegawa_fusao/status/1460850998004490241

《 本質情報ですが、「みんなに、貴方にもわかりやすいアート」なんて言ってる連中は全て詐欺師です。スペクタクルと決別しない限りアートが正しくあることは あり得ない 》 貴族
https://twitter.com/hasegawa_fusao/status/1460861911059210243

《 美は心を開発するものであるべきで、自分は変化せずその欠落に見合った商品を探そうなんてのは消費以上の体験にはならない 》 貴族
https://twitter.com/hasegawa_fusao/status/1460864597104025601