『ドガ ダンス デッサン』五(閑人亭日録)

 ポール・ヴァレリードガ ダンス デッサン』岩波文庫2021年11月12日初版を読んだ。

《これこそが重要な点である。官能の楽しみが、消滅しつつある。もはや愉しむ術を人びとは知らないのだ。われわれが求めているのは強度、巨大さ、速度、中枢神経に 最短距離で直接作用することなのだ。 》 「時代の問題」 196-197頁

 本文読了。長文の「訳者あとがき」を読んだ。これが力作で読ませる。

《 ヴァレリードガのうちに認めているのは、作品の完成というものを求めず、ひたすらデッサンしつづける画家の姿である。さまざまな偶然によって制作が始まるが、 本質はその結果形成されるものではなく、可能態のままにとどまっているしなやかな力の感覚のうちにあるというのである。 》 281頁

《 不定形なものへの解体と、通常の認識への復帰のあいだには、二十世紀前半の芸術の大きな大きな課題が横たわっている。 》 293頁

《 ここで問題となる、厳密な意思によって制御された画法と、自己形成する形の力とのせめぎあいは、ここまで見てきたさまざまな主題をつなぐ鍵となっている。どれほど 計算された画像であっても、そこに「歌う魂」がなければ芸術とは呼べない。ヴァレリードガのうちに見ていたのは、この「歌う状態」という恩寵の状態に至るために どれほどの意思と知性の力が必要かということである。 》 304頁

《 デッサンには、自動作用に導かれながら描かれる絵から、細心の注意力を凝らして描かれる絵まで、さまざまな「度合い」が存在するのである。 》 311頁

 『ドガ ダンス デッサン』読了。わかる箇所と不分明な箇所が混在。挿入された絵は、よくわからなかった。それにしても本文の字は小さく、訳注の字はさらに小さい。 でも、裸眼で十分読める。メガネは未だに持っていない。

 ネット、うろうろ。

《 これは何だかもうよく分からない状態になってしまっている。 》 羽鳥写真館
https://twitter.com/hatolier_camera/status/1477043545576214532

《 東京五輪が決まった時は本当にショックだった。安倍総理演説の「アンダーコントロール」という嘘あり得なかったしまさか福島第一原発事故が収束もしてないのに 決まるなんてと衝撃だった
  河瀬直美氏の認識はほんとひどい

  #五輪を招致したのは私達ではありません 》 弁護士 太田啓子 「これからの男の子たちへ」(大月書店)
https://twitter.com/katepanda2/status/1477630129593786372

《 河瀨直美監督が「オリンピックを7年前に招致したのは私たちです。そしてそれを喜んだし、ここ数年の状況をみんな喜んだはずだ」と仰った。監督、私たちとは 下の写真の人たちのことで、私(談四楼)は含まれておりません。みんなも以下同文、何より我々が反対した理由のコロナ禍に触れないのは反則では? 》 立川談四楼
https://twitter.com/Dgoutokuji/status/1477486761601544192

《 河瀬直美氏の発言で、なぜ自分がかくも五輪というイベントに違和感を覚えるのか、その理由が期せずして明確になった気がする。ひとたび決定すすれば国民すべてを 巻き込み、それと無関係ではいられないのであれば、それは戦争と同質の構造を持つからだ。 #五輪を招致したのは私達ではありません 》 田亀源五郎 Gengoroh Tagame
https://twitter.com/tagagen/status/1477636651371614216