『ユリシーズ』解説(閑人亭日録)

 ジェイムズ・ジョイスユリシーズ III 』集英社1997年初版(元版は1922年刊行)、解説、丸谷才一「巨大な砂時計のくびれの箇所」を読んだ。

《 ヘンリー・ジェイムズの『使者たち』のやうに現実の不可知性を中心部に据ゑても、謎は単純だつたり大味だつたりするのが普通だった。 》 591頁

 『使者たち』、ずいぶん前に読んだけど、面白かった記憶。再読したくなった。

《 こんなふうに言ふと、話が深刻になり、辛気くさくなる。しかし大事なのは、『ユリシーズ』の場合、この大まじめな神学=藝術論のすぐ裏に(表に?)ふざけちらした遊びがあつて、その二重構造を見のがしたのでは『ユリシーズ』論でなくなつてしまふことだ。
  この長編小説はまづ、いたずらの名手、言葉によるトリックスターにしか書けない、途方もなく花やかな無駄口の壮大きはまる組合せによつてわれわれ読者を驚かすのである。 》 594頁

《 滑稽と魂しづめ、追悼と陽気な祭といふ二つの色調のまぜこぜは、単にジョイスの個性のせいではなく、むしろアイルランドの伝統を彼が忠実に、仔細に探り当て、 作品の構造において古い文化を生かしたものであつた。 》 595-596頁

《 こんなふうに見て来ると、呪術性と遊戯性との分かちがたい縁の深さを絵に描いたやうに示すのが『ユリシーズ』であつたと言ひたくなる。 》 597頁

《 わたしが感嘆を禁じ得ないのは、ジョイスが『ユリシーズ』全体の構想において、『オデュッセイア』からさらにさかのぼつて神話の原型とも言ふべきものをじわじわと探求してゆき、それを自作の枠組にした、その知力と想像力と直感である。 》 599頁

《 すなはち現代の作家は、小説の解体と再建といふ二つのことを同時にしなければならないわけで、ジョイスはじつに傍迷惑(はためいわく)な、しかしもちろん偉大な先輩だった。
  そう断つた上で、彼の影響があらはにうかがはれる、この四十年ほどの長編小説をあげてみよう。 》 608頁

 アントニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』1962年、ラッセル・ホーバン『リドリー・ウォーカー』1980年、ナボコフ『ロリータ』1955年、同『青白い焔』1962年、 ボルヘス『伝奇集』1944年、同『不死の人』1949年、マヌエル・プイグ『蜘蛛女のキス』1978年、デイヴィッド・ロッジ『どこまで行けるの?』1980年、J・G・バラード 『太陽の帝国1984年、クロード・シモン『フランドルへの道』1960年、ミシェル・ビュトール『時間割』1957年、ガルシア=マルケス百年の孤独』1967年、 カルペンティエール『失われた足跡』1953年、イザベル・アジェンデ『精霊たちの家』1985年、バルガス=リョサ『緑の家』1966年・・・。ドス・パソス『U・S・A』 1938年、ロレンス・ダレルアレクサンドリア四重奏』1957-1960年など。

 本棚にない本は『リドリー・ウォーカー』『青白い焔』『どこまで行けるの?』『フランドルへの道』『精霊たちの家』。未読本は『時計じかけのオレンジ』『ロリータ』 『緑の家』『U・S・A』。

《 わたしに言はせれば、人類の小説史全体の比喩としての巨大な砂時計の、くびれの箇所に当るものをジョイスは書いた。 》 611頁

 昼前、源兵衛川上流、蓮馨寺横の茶碗のカケラ、ガラス片を拾う。川に入って見ると、けっこうあるある。重くなり(過ぎて)、引き上げる。一汗。
 疲れた心身には古本が一番。水野英子『12月のソルベーグ』サンリオギフト文庫1976年12月30日初版が届く。ずっと欲しかった。きれいな本~。この本は左開き。 文章が横書きだから。

 ネット、うろうろ。

《 殺人の前科があっても就職できた 「寄り添い弁護士制度」が支える社会復帰 》 47NEWS
https://nordot.app/854295650184527872?c=724086615123804160

《 〈明日のジョー昨日の情事 蓮の花咲いてさよならいいし女[ひと]はも〉。愛鷹山麓の村で墓守人の日々を過ごしていた。バスに揺られて町へ出た。 「少年マガジン」連載「あしたのジョー」と出会った。私の胸に灯が点った。《火影に揺れるシャドーよ俺の分身よ 硝子の顎[ジョー]と誰かが言いし》 》 福島泰樹
https://twitter.com/yasukizekkyo/status/1485213132662673408