塚本邦雄監修『現代詩コレクション』書肆季節社1990年刊には、藤富保男の詩は四篇+魔法の家(抄)八篇が収録されている。魔法の家(抄)から「今」全篇。
《 今日は彗星の出る日なので
犬も
牧師も
とんぼも
口を開けて待ちかまえていた 》
『日本のライト・ヴァース1 谷川俊太郎 編 暖爐棚上陳列品一覧』書肆山田1980年刊では「土」が冒頭を飾っている。二行の詩。
《 土管のなかをのぞいて待っていた
遂にゴリラが入ってきた 》
藤富保男の詩はわけがわからないから好き。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%AF%8C%E4%BF%9D%E7%94%B7
持っている本は、詩集『今は空』思潮社1972年8月15日刊、限定225部、『風一つ』思潮社1974年8月1日刊、『藤富保男詩集』思潮社1973年11月1日刊の三冊。新刊で購入。 ウィキには『今は空』と『風一つ』が抜けている。あれれ。
大岡信 編集『全集・現代文学の発見 第十三巻 言語空間の探検』學藝書林1969年刊には藤富保男の詩は、『正確な曖昧』から十一篇が採録されている。自己紹介文 から。
《 ぼくの詩はあらかじめ箱の中に入っていない。あとで箱の中に入るのでもない。箱の形か桶の形か傘の形になって行くのである。ポエジィはそれをそれと意識できたり、 できなかったりする感覚である。だからポエジィは説明しない。ただ言語と言語が取引をする関係を感性がとらえるまでである。だから、立上ったまま、とんでもない顔を しているが動かない、なんていう詩がぼくにはある。
詩的冗談こそ詩が描く王宮である。 》
詩集『今は空』の詩の題名。
「他人の真似をしている自画像」
「笑うことぐらいは自分でやれ」
「自分という遠い人間」
「わたしは さあ どうだか と言う自信がある」
「自己の事故」
「自分の充分」
「自分を狙って」
「我自」
「わたしはもっと克明にあきれ返れ」
「わたしであるそのまま」
「わたしに埋没している自分」
「わたしのなかの大雨」
どの詩も長いので引用はしない。『風一つ』は一頁に一つの短詩が四十五。題名はページの中心のページ数。詩は上下左右の端し、中心近くと、ばらばらな位置。
《 「1」
歩くと影ある
牛も苦しむ真夏の真昼
はる蚊
にわ蚊
にさされて
女一名ひっくり返る 》
《 「45」
ふりかぶって
影を投げる
藤の花が散らばっていて
犬がにおっている
紫の鼻に一粒の風 》
未明、ふっと目覚めて浮かんだのは道元『正法眼蔵』と藤富保男の詩の通底。眠っている間にこんなことを考えているのか。明日へつづく。
ネット、うろうろ。
《 10円を入れると女神がでてきて「あなたの落としたのは金の500円ですか?それとも銀の100円ですか?」と選択を迫ってくる貯金箱作った 》 藤原 麻里菜 | Marina Fujiwara
https://twitter.com/togenkyoo/status/1497751538151788544
《 >RT あのキエフで市街戦だなんて…信じたくないけどこれが現実か。写真は2011年に撮影したもの。 》 田亀源五郎 Gengoroh Tagame
https://twitter.com/tagagen/status/1497307329124978688
《 「決まったのだから仕方ない」と盲従する無節操な人たちは、職場から公園まで、やたら決まりを掲げたがる。自らの頭で考えられないから 「上に訊いてくれ/上が決定してくれ」と責任転嫁する。そういう無節操、無思考がなにをもたらすかについて書かれた、伊丹万作のエッセイ。
https://aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1497677491917365248
《 放送予定だったというお色気大賞について、あんなくだらない企画を今やるのはダメだよなあという言葉の応答として、いや戦争の方がくだらないよほんというとね、 という言葉がずっと出てくる凄み。 》 seo natsumi
https://twitter.com/seonatsumi/status/1497599948413566984