昨日で『吟遊星』の記事は終わるつもりだったが、『吟遊星』12号1981年2月14日発行掲載の「狂歌書」猿真似太夫(こと御沓幸正)が見つかったので前半を紹介。
《 見渡せば飯もうどんもなかりけり裏の蕎麦屋の秋の夕暮
風流の遊びはとうに隅田川本所そこらはやたら忙(せわ)しく
きのふこそ皮かぶりしかいつの間にふぐりそよぎてぬきみ立ちつる
女形みじかき足の真ン中はいかにこの世をすぐいてよとや
夜もすがら契りつゞけて明けぬればほとほと萎えていたく眠たき
みよ人を金と小皺をふやしつヽだんだんむさくなりまさるなり
出でし屁のおならともいふ又の名はけふこヽいらに匂ひぬるかな
なほも飲め渋りがはらのくだりさへわが世の中に酒ある限りは
紙一重振りみ振らずみ定めなき手管ぞ色のはじめなりけり
あきらかに声をほにあげていく舟はありのとわたる棹にこそ浪る
白雲にはねうちまはし飛ぶヘリの数さへ見ゆる基地の夜の月
ブリキ屋の国の訛のいってつはどうにもならんと心中思ふ
京たちて明日あふみは片はらよ新幹線で日帰りにこそ
わが世をば今日か明日かとまつかひをあさってばかりあさってばかり 》
27日の拙文、藤富保男の詩(閑人亭日録)
https://k-bijutukan.hatenablog.com/entry/2022/02/27/200630
にはてなスターが付与された。
https://s.hatena.ne.jp/
いつもだけど、未知の方から。励みになります。『藤富保男特別号』編集後記から。
《 そうやって、一方では藤富氏と何度か手紙のやりとりをしている内に、ある日、ついに作品が同封された手紙を戴いたのである。特別号への参加表明だ。そして何と、 この手紙の封筒には清水寺の記念切手が貼られていた。さらに、封書の中にはショートホープの蓋の頭が切り取られて入れてあった。何という洒落であろう! 何という ポエジーであろう! 》
昼前、源兵衛川中流部、源兵衛橋上流の茶碗のカケラ、ガラス片を拾う。重くなって終了。自転車に載せて帰宅。一汗。温かい牛乳。旨い。
なんとなく疲れた気分のときにはアフリカ西岸大西洋の島国カーボヴェルデの音楽MORNAに浸りたくなる。哀愁。詩人の西脇順三郎は愛愁と言った。そうだな。
https://www.youtube.com/watch?v=l2QEoX904yE
ネット、うろうろ。
《 ガチャピンの流鏑馬
何が凄いって的を全然見てない 》 豚バラみたを
https://twitter.com/Zz92923167/status/1500072404822810628
《 セヌフォ族の、トラディショナルなワベレ仮面と、モダニズムに感化されたワベレ仮面。トラディショナルという概念もまた、絶えず更新されていくことの一例。 ふと彷彿させられるのが、ゴジラ生誕から20年後、発想されたメカゴジラ。社会の変化は、すでにつねに造形のなかに表れている。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1500388138979508224
《 今回への侵略戦争へと至るロシア・ウクライナ関係におけるユダヤ・ファクターについて、ネットで読める記事を漁り始めているのだが、ユダヤ人のゼリンスキーが 大統領になったことで、ロシアの右派による反ユダヤ・ウクライナの攻撃的言説が異常にエスカレートしてゆく過程がすぐに浮かび上がってきた。 》 直立演人
https://twitter.com/royterek/status/1499578208177758209