『森は考える』六(閑人亭日録)

 エドゥアルド・コーン『森は考える  人間的なものを超えた人類学』亜紀書房2016年3刷、「第二章 生ある思考」を読んだ。

《 私が言わんとするのは、人間的なるものを超えた世界とは、人間によって意味を与えられる意味なき世界ではない、ということである。 》 128頁

《 むしろ、自己であることは、先行する記号を解釈する新しい記号を産み出す過程の帰結として、この記号論的な動態から出現する。 》 133頁

《 すなわち、自己とは、個々の形態を維持し、永続させる、生命に固有な過程の産物であり、その形態は、数世代にわたって反復されるにしたがって、周りの世界に 適合するようになり、同時に、それではないものとの関連において築かれた自己同一性を維持する、ある環状の閉包性を表すようになる。 》 134-135頁

《 非人間の行為主体性に対するこうしたアプローチは、非人間の一部、すなわち、生あるものが自己であることを見過ごしている。自己として、それらは表象されるだけで なく、表象することもできる。そして、そうするのに「話す」必要はない。それらは「代弁者」を必要としているわけでもない。なぜなら、第一章で論じたように、表象は 象徴的なるものを超え出ており、ゆえに人間の言語を超え出ているからである。 》 162頁

《 本章では、私たちが通常、差異や類似性として認識するものの以前にある過程、混同というひとつの形式による過程を探求してきた。生ある思考において混同すること (もしくは忘却すること、違いがわからないこと)の役割を理解することは、人間的なるものを超えた人類学を前進させるための助けとなるだろう。そのとき人類学は、 生きることと思考することの中心的な位置を占める差異からつくり出されるのではない、多くの動態に注意を向けることができるようになるだろう。 》 178頁

 昨夜は最初の揺れで目が覚めた。異状はなくてやれやれ。

 ネット、うろうろ。

《 日本にいた頃は大きい小さいはあっても地震は来て当たり前で、常に万が一に備えて生活していた。ドイツに来て2年以上経つが地面はピクリとも動かない。 地震といい台風といい、本当に日本は自然災害の多い環境だと思う。そんな日本の環境では原発は常に危険にさらされていることをあらためて実感した。 》 中林 香
https://twitter.com/kaokou11/status/1504126113664180229

《 安倍元首相ゲキ推しコロナ治療薬「アビガン」治験打ち切り…備蓄増へ投じた血税140億円

  富士フイルム会長はゴルフ仲だから推奨したのではと囁かれていたが、一国の首相が、効果が認められず危険な薬をコロナ特効薬のように宣伝していたのだから、 あまりにいい加減で呆れる。 》 但馬問屋
https://twitter.com/wanpakuten/status/1504231837463244800

《 今、ロシアで戦争反対を訴えている人たちに対して、批判ばかりで対案がない、と非難しますかね? 基本的には同じことで、政府が間違ったことをしているなら、 批判すべきだし、それが出来ない国になることは恐ろしいです。 》 平野啓一郎
https://twitter.com/hiranok/status/1504241613043736576

《 だから「敵対しない」というのは相手を受け入れるとか和解するとかいうこととは違うんです。「受け入れる」とか「和解する」というような能動的なマインドで 相手に向き合うと、今度は自分が「他者を受け入れることのできるオレ」「敵とも和解することのできるオレ」として強化されてしまう。 》 内田樹
https://twitter.com/levinassien/status/1504243758333775874

《 そうならないために、相手がいてもいなくても何も変わらず、ふだん通りにする。敵対しない、排除しない、忌避しない、操作しない、統御しない、 よけいなことは何もしない。必要なことだけする。それがほんとうに難しいんですよね。 》 内田樹
https://twitter.com/levinassien/status/1504244524180156419