『森は考える』十一(閑人亭日録)

 エドゥアルド・コーン『森は考える  人間的なものを超えた人類学』亜紀書房2016年3刷、「エピローグ 超える」を読んだ。

《 創発とは、断絶の間にある繋がりをたどるために用いた専門用語である。超えるは、より広がりのある一般用語である。人間の言語を超えて記号過程があるということは、 言語が、言語自身を超えて広がる生ある世界の記号過程と繋がっていることを、思い出させる。人間的なものを超えた諸自己がいるということは、私たち人間が自己である ことの属性のいくつかが、彼らの属性と連続するという事実に注意を向けさせる。あらゆる生命を超えた死が存在するということは、私たちを今の私たちたらしめる全ての不在の死者によって開かれた空間のおかげで、私たちが連綿と続いていくありようを指し示している。形式が生命を超えて広がるということは、私たちの生命を通過して型が労なくして増え広がっていくことに注意を向けさせる。さらに、最後になるが、精霊たちが生命を超えて広がる死後という実在の一部であるということは、生命本来の連続性と一般性について何かを教えてくれる。 》 391頁

《 そして、「私たち」が人新世──人間的なるものを超えた世界があまりに人間的なるものによってつくり直されている、この不確かな私たちの時代──を生き抜くには、 私たちは森とともに、そして森のように考えるいくつものこうした道程を、積極的に切り開いていかなければならない。 》 393頁

《 私自身が行った民族誌的な黙想とは、私たちの思考を解き放つ試みだった。それは、人間的なるものを超えた野生状態の生ある思考──「私たち」をつくるものでもある──に自分たちを開くために、束の間、私たちの謎だらけの人間的な生活空間から一歩踏み出す試みだった。 》 394頁

《 私は、「ここ」にいる私たちには感じられ、かつ同時に「かなた」で私たちを超えて広がる、ある一般的なものについて何かを示そうと試みてきた。このようにして 私たちの考え方を開くことで、より大きな〈私たち〉──私たちの生命のうちにのみならず、私たちを超えて生きるものたちの生命においても繁栄するひとつの〈私たち〉──に気づくことができる。それは、いかに質素であろうとも、私たちからの、生ある未来への贈り物となるだろう。 》 394-395頁

 エドゥアルド・コーン『森は考える  人間的なものを超えた人類学』読了。わかったようで、まだわからない。道元正法眼蔵』の思想に通じるものを直感した。 それが何なのかは、いずれ判明するだろ・・・かな(期待)。

 冷たい雨の降る一日。

 ネット、うろうろ。

《 本棚ジオラマの新作完成しました!
  1階は店舗で2階は生活スペースの懐かしい雰囲気の二階建て古書店です。
  文庫本サイズの箱に入ったジオラマなので、本棚への収まりも良い感じ
  昨年末の12/21から製作開始し、ちょうど3ヶ月で完成しました 》 依田四十郎
https://twitter.com/yorita3/status/1505870396339679236

《 この手の金太郎飴ツイートが散見されますが、「安全性が確保されている原子力発電所」というのは、「老けないアイドル」みたいな何かなんでしょうか?  実在したら凄いなとは思います。 》 津原泰水(やすみ)
https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1505871256272646146

《 オッサン あれからもうすぐ十年ですが 》 れいわ爺さん
https://twitter.com/2jaMa5n5mnZPbOA/status/1505759389227319299

《 人権に制約をかける改憲を望む方々の「権利には必ず義務が伴う」というフレーズは自民党改憲草案12条にもあります。しかし、基本的人権は生まれながら当然に持つ 権利でそれに伴う「生まれながらに負う義務」などありません。お金を借りた人は返す義務を負う、私法上の権利義務とは別次元の話です。 》  明日の自由を守る若手弁護士の会/あすわか
https://twitter.com/asuno_jiyuu/status/1506055065064251392

《 大根畑、めっちゃ怖かった 》 須藤王の谷町@歩き遍路再開
https://twitter.com/VeKtuFK6meExrT9/status/1505058958696132608