鏑木清方~味戸ケイコ(閑人亭日録)

 今、東京国立近代美術館では鏑木清方展。目玉作品の『築地明石町』は、2019年に見ている。気品と憂いが混然とした立ち姿に参った。
 https://kiyokata2022.jp/
 鏑木清方は1972年(昭和47年)3月2日に亡くなった。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%91%E6%9C%A8%E6%B8%85%E6%96%B9
 机上に雑誌『芸術生活』1974年8月号「特別増大号 さし絵の黄金時代」芸術生活社がある。森茉莉「若い頃好きだった挿絵」から。

《 池田照方の奥さんの池田蕉園や、鏑木清方も小説の挿絵を描いていて、好きだった。何かの婦人雑誌の口絵に、『白桃』という題の、清方の絵が出たことがあった。 白桃の花の咲いている傍に立つ美人だが、愛嬌があって、大変気に入り、切り抜いて蔵っておいたのを覚えている。 》 119頁上段

 私の所蔵する木版口絵から。鏑木清方・他。
 http://web.thn.jp/kbi/kutiee.htm
 この特集で鏑木清方の名があるのは森茉莉のエッセイだけのようだ。で、私の持論だが、鏑木清方の死去と踵を接するように、味戸ケイコさんが本格デビューした。 まあ、ただ嗤われるだろうが、ずっとそう感じていた。そう、ずっと感じていた。『築地明石町』の凛とした、憂いを秘めた大人の女性像が、味戸ケイコさんの、翳りを 帯びた無垢の少女像に受け継がれた。鏑木清方の死で挿絵の時代は幕を下ろし、味戸ケイコさんの本格デビューは、イラストレーションの時代の幕開きの象徴となった。
 『年鑑日本のイラストレーション 1972』講談社1973年5月10日発行収録、108番味戸ケイコの二点(『雑誌エレクトーン』の表紙絵)を見て、やなせたかしは雑誌 『詩とメルヘン』サンリオのイラストへの起用を決めた。なので、私は勝手に妄想している。
 それはともかく。この『年鑑日本のイラストレーション 1972』の何と豊穣なことか。凄いパワーだ。そして今気づいたのだが、最後の収録が、231 山名文夫(やまな あやお)『新聞広告 資生堂』。この線描画、新聞を切り抜いて蔵した記憶。なんという奇縁。

 昼過ぎ、源兵衛川中流、下源兵衛橋上流の茶碗のカケラ、ガラス片を拾う。重くなって終了。下源兵衛橋上流の石垣のヒメツルソバを抜く。土のう袋に詰める。高所は 次回に。自転車の荷台に載せて帰宅。軽く汗。

 ネット、うろうろ。

《 かつての「現代思想」を今に継承する意味――千葉雅也さんに訊く 》 note
https://note.com/bunshunshinsho/n/n808b083eac11

《 「LGBTQ報道ガイドライン」第2版が公開。「注意すべきフレーズ」が新設/松岡宗嗣 》 HUFFPOST
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_625f553fe4b0e97a3523f778?utm_campaign=share_twitter&ncid=engmodushpmg00000004

《 問題解決チームを作るさい、人材は〈ランダムに選択〉したほうが、〈高能力者だけ〉でチームを作るよりも解決成績がよくなるという実験成果がある。 これはすでに多くの人が経験的直観でわかっていること。〈高能力〉というもの自体が、単数の思考に偏った〈同質性〉にあって、〈多様性〉が喪失される。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1516894565432586240

《 採取されると不都合なのか。福一原発処理水を1km先の海に放出する謎/きっこ 》 MAG2NEWS
https://www.mag2.com/p/news/536299