『〈私〉をめぐる対決』三(閑人亭日録)

 永井均森岡正博『〈私〉をめぐる対決──独在性を哲学する』明石書店2021年12月15日初版第一刷、「第4章 森岡論文への応答」永井均を読んだ。

《 次に「東京太郎が〈私〉である」の場合を考えよう。(引用者・略)「東京太郎が火星である」などのあらゆる命題を反事実的に解釈してその意味を理解することが できるが、「東京太郎が〈私〉である」という命題だけは理解することができない。なぜなら、述語部分の「〈私〉である」は、何か別の述語部分と入れ替わるような形で 代入できるものではないからである」は、私には意味がわからない。「何か別の述語部分と入れ替わるような形で代入できるものではない」の意味がわからず、それが できないことがなぜ「東京太郎が〈私〉である」の意味がわからないことに通じるのか、まったく理解できない。 》 229-230頁

《 これまた私には、森岡が何を言っているのかほとんど理解できない。無理に理解しようとすると、これまたどこから指摘していったらよいのか迷うほど間違いだらけの 議論としか思えないのである。 》 244頁

《 形而上学的問題の思考にはしばしば思考実験という方法がとられるが、その際、思考実験は(事実としては想像によって担われる部分が多いにもかかわらず)その本質が あくまでも思考実験であって決して想像実験ではない(という哲学の方法にかんする初歩的な確認事項はどんな場合にも忘れられてはならないだろう)。 》 247頁

《 否定を経ることによって単なる直観が「疑いようのない真理へ」と「格上げ」されると言われているが、それは何故なのか、なぜその否定が必要なのか、この断定だけ では誰にもわからないだろう。もちろん、私にもわからない。 》 251-252頁

《 これは、「存在」の意味そのものをめぐる、哲学の歴史における最も本質的な対立点を、(この問題に関連して)はじめて抉り出すというとてつもない質問=批判で あって、そこにも書いたように、私はこの質問=批判に接することによってはじめて、もともとの自分の問いを、アンセルムスの神の存在論的証明をめぐる問題や マクタガートの時間の非実在性をめぐる問題やデイヴィド・ルイスの様相実在論をめぐる問題や…、そしてもちろんデカルトの「コギト・エルゴ・スム」の真の意味を めぐる問題へと繋げることができ、そのことによって西洋哲学の根幹に繋がることができたと感じている。これらの問題はいずれも、「存在」成立の二重構造に関連して いるといえる。私の見る限り、森岡の理解は彼の問いの深さと広がりをまるで理解していない。 》 259-260頁

《 私は、「……人物○○が〈私〉である」と発見するルートは存在しない」などとは言っていないし、決して言わないであろう。「人物○○が〈私〉である」と発見する ルートは存在しており、むしろそれだけが存在しているからだ。この「が」と「は」の違いは決定的である。 》 265頁

 哲学の面白さを存分に味わった。「第3章」での森岡の文で感じた違和感が、251-252頁、265頁で書かれている。それはそれとして、引用文に過ちがないか心配。

 「第5章 貫通によって開かれる独在性──森岡正博」を読んだ。これまた面白い。負けちゃあいない。

《 このように、徹底的に一人称的で私秘的なもののように一般には捉えがちな独在性の問題は、二人称の優位という地点を経由して、公共性の地平へとすでに接続されて いるという構造になっているのである。これらの点においても、純粋な形而上学の枠内に〈私〉の概念をとどめておこうとする永井と、その路線を取らない森岡のあいだには 隔たりがある。独在的存在者の概念は形而下の肉体の世界ともつながっている。しかし、独在的貫通によって独在的存在者が成立することで、ある内包がこの世界へと 付加されるわけではない。そのような形ではつながっていない。 》 296頁

《 以上から分かるのは、貫通型独在性のアプローチは、第一の次元においても第二の次元においても、永井による〈私〉のアプローチとは異なっているということである。 森岡は、この二つのアプローチによって見えてくるそれぞれの異なった独在性の様相を、独在性の二つの側面と呼ぶのである。 〉 297頁

 永井均森岡正博『〈私〉をめぐる対決──独在性を哲学する』、読了。堪能。この面白さを誰かと共有したいが、見当たらない。

 ネット、うろうろ。

《 そのように在るものを「そのように視る」のが知覚で、「見たいように視る」のが認証バイアスである。それは知識・経験をもって視ることで、 知覚をたえず妨害し、捻じ曲げている。しかし、捻じ曲げれば捻じ曲げるほど、自覚的にはクリアーなのである。これがストゥディウムとか積分回路と呼ばれる問題。  》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1525898514206584832

《 僕が「自称愛国者」を全く信用しないのは、彼らは「誰が日本人ではないか」という差別と排除を優先的に考えるからです。 国民国家構成員の絶対数を減らすほど国力は向上するという「奇妙な算数」をなぜ彼らはあんなに素朴に信じていられるのか。 》 内田樹
https://twitter.com/levinassien/status/1525765501812473856

《 これはとても大きな問題ですね。ドラマ「パチンコ」が日本のメディアでタブーで、触れられない件。私も記事でこの作品のことをはじめて知った。 》 森岡正博
https://twitter.com/Sukuitohananika/status/1525799033658572800