『現代の美術 6 主張するオブジェ』(閑人亭日録)

 『art now 現代の美術 6 主張するオブジェ 』講談社1972年1月15日第1刷発行を開く。編著者・東野芳明。章立て。

  1 物体と人間と
  2 廃物の歌
  3 商品と情報と
  4 粗暴な物質の顔

 巻末の東野芳明の解説、結びから。

《 この問題提起は、これまで辿ってきた芸術作品としてのオブジェの問題をも、否応なく社会の只中で考え直させずにはおかない。どんな革新的なデザインも、どんな 前衛的な美術作品も、その革新性ゆえに逆にステイタス・シンボルとならざるを得ないとすれば、つまり「大政府ども」の愛玩具になる運命にあるとすれば、たしかに、 ひとつの方法は、ソットサスのように「突如として内容が喪失し、無化してしまった物体」をつくり出すことだろう。それは、プライマリー・ストラクチュア、ミニマル・ アート、コンセプチュアル・アートなどと呼ばれる美術の傾向と軌をひとつにする方向であり得るかもしれない。(引用者・略)コンセプチュアル・アートの作品が、観念の 作業と直結した資料の状態にまで物体を還元するとき、そこにあらわれた粗暴な「自然」は、いわば意味以前の原初的な力をもって、あらゆる意味づけに抵抗し、さらに、 商品となることを拒む。ここには、美術界の体制に対するひとつの異議申し立ての可能性をかいま見ることが出来るだろう。(引用者・略)物体から意味を剥ぎ取る だけでなく、徹頭徹尾、ものばなれしてゆくことの冒険──次の時代のオブジェ論は、ここから始まらなければならない。 》 121頁

 それから半世紀・・・。先だって、ふじのみや・まちなか アートギャラリーで展示された白砂勝敏さんの新作オブジェを思う。細長い流木に連続する穴を穿った作品。
 https://ameblo.jp/steampunk-powerstone-art/entry-12751169968.html
 手元のメモ書き。

《 自然物に手で触れ、聞き耳をたて・・・そっと伝わってくるの自然の声と胎動に、共鳴、共振して、彼の手は誘われて自然に動く。死んだ=動かない物体=自然物は、 未知の、自然な艶(なま)めかしい形態を顕わす。それは奇妙にも懐かしさを帯びている。 》

 初期作品の木彫椅子。
 https://www.youtube.com/watch?v=q-L5GJkiCXM

 午後、招かれて富士市の白砂勝敏常設ギャラリーを再訪。上記の新作についてちょっとしたアイデアを披露。面白いと乗って来られる。
 https://shirasuna-k.com/gallery-2/museum-shirasuna-fuji/

 ネット、うろうろ。

《 弁護士って社会に必要なお仕事だなぁ、とつくづく。

  ひとつの殺人事件を、私怨によるものと矮小化するか、背景をわかりやすく読み解いて社会問題化するか。

  時として命を懸けて。

  弁護士の腕次第では、多くのひとが感じている息苦しさ、生きづらさが軽減される望みが生まれる。

  ご無事を切に願う。 》 松尾潔
https://twitter.com/kiyoshimatsuo/status/1547215732152287239

《 どんどん円が安くなる。これもアベノミクスのつけなのか。

  一時1ドル139円台に 円安急進
  #Yahooニュース 》 ささきりょう
https://twitter.com/ssk_ryo/status/1547496688327147520

《 スコアの深読み 第14回 ジャズ・ミュージシャンが作曲した「クラシック音楽」 》 都響 音楽監督 大野和士
https://www.tmso.or.jp/j/archives/special_contents/2022/2022score/column/column14.php