『現代の美術 8 躍動する抽象』(閑人亭日録)

 『art now 現代の美術 8 躍動する抽象』講談社1972年2月5日第1刷発行を開く。編著者・大岡信。章立て。

  1 形の彼方の形を求めて
  2 描くことの原型を求めて
  3 「空間」概念の革新
  4 風土と抽象
  5 自然の拡張と深化

《 一つには、19世紀における写真の発明がもたらした衝撃ということがあろう。また、印象派以後の美術が、「画面」という平面の上で完結する色彩と形態の秩序ある 小宇宙を追求してきたことが、必然的に絵画の制作を、それ自体を目的とするきわめて方法的な探究に変えたため、さしも強力な主題であり続けてきた人間像も、 その方法的探究素材の一つとして分解せざるを得なくなったというところもある。色彩においてフォーヴィズムが、形態においてキュビスムが、それを決定的なものにし、 抽象絵画がそれを完成したいうことができる。 》 「1 形の彼方の形を求めて」 8頁

《 すなわち20世紀の人間觀は、ギリシア以来、ルネサンス以来の輝かしい思想と秩序の相のもとにではなく、それらが崩壊したのちの人間と彼をとりまく自然の、混沌たる 相剋の相のもとに再建されねばならない時代を迎えた。 》 「1 形の彼方の形を求めて」 8頁

《 どのような特定の対象も、特定のイメージもよび起こそうとしない画面。しかしその中で、私たちの視線がさまざまの迷路、多色の空間、溢れる光線ショック、熔岩の とどろき、透明な陥し穴、リリカルな色彩の歌を感じとり得る画面が、ここに形づくられる。 》 「2 描くことの原型を求めて」 24頁

《 風土というものが一人の芸術家の中で静かに発酵し、作品の中にみずからを忍び込ませるやり方には、しばしば驚くべきものがある。 》 「風土と抽象」 70頁

《 マティスやルオーの師であったギュスターヴ・モローはこういっている。これらの言葉は、彼と同様に象徴主義の同時代人であったオディロン・ルドンの言葉でも あり得ただろうし、また、<サント・ヴィクトワール山>の連作や、多くの部分を真白に残した、ほとんど音楽的陶酔感さえ与えるデッサンによって、物質の実在感の 追求のはてに、物質をあたかも内側から純化し、光に変えてさえしまいそうな不思議に律動的、エーテル的な自然界の活気をとらえるにいたった晩年のセザンヌの言葉でも あり得ただろう。 》 「生の高揚としての抽象絵画」 121頁

 セザンヌの絵で最も惹かれる絵が、晩年の黒鉛・水彩画。巻末の解説「生の高揚としての抽象絵画」は、読み応えがあり、じつに興味深かった。 これは『生の高揚としての美術』花神社2006年4月25日発行に収録されている。それにしても、この巻もこれ欲しい!と思う作品が見当たらず。

 昨日、『現代の美術 7 集合の魔術』で集合に触れたが、東京新聞「文化」欄、椹木野衣「美術評 「東北画は可能か?─世々世々(しょうじょうぜぜ)─展」が 興味深い。
 https://bijutsutecho.com/exhibitions/10258

《 個の表現を重んずる画壇に対して集団の熱に着目した菊畑茂久馬を参照し、「東北画は可能か?の集団的制作と接続させている。 》

《 そもそも集合性は美術の根幹にある個人の署名性に反発する。なおかつ絵を描く方法が模写であることで、その実践は二重の意味でオリジナリティーに逆らうことに なる。(引用者・略)だが、そうした事情を超えて、そもそも模写や集合性そのものの中に、絵画における近代を相対化する身ぶりが備わっている。 》

 集合を絵画の中の技法ととらえた昨日の本に対して集団の集合性の問題がさらっと提起される。
 同じ東京新聞読書欄「読む人」、三砂ちづる『セルタンとリトラル  ブラジルの10年』弦書房への松村圭一郎の評から。

《 ブラジル北東部の僻地では、幼子を亡くしても母親が涙すら見せない。そのことについて二人の米国人類学者の説が紹介される。(引用者・略)著者はいずれの議論も 「死」を悲しむべきものとする西洋の前提にとらわれているという。かつての日本もそうだったように、死は生のすぐとなりにあるものとして毅然と受容されている。 》

 小雨の中、灯籠流しへ。うわ、誰も並んでいない。例年大行列なのに。こんなこと初めて。無事済ませて帰宅。汗~。

 ネット、うろうろ。

《 皮膚科でぬり薬出してもらう時にどうやって混ぜてるんだろと思って薬剤師さんに聞いてみたら「軟膏練り太郎でやるんですよ」と言われては?からかわれてる? と内心思ったが調べてみたら本当に「なんこう練太郎」っていう専用マシーンがあって本当だったんか…
  https://thinkymixer.com/nanko/ 》 774@う125-し89
https://twitter.com/na74/status/1547776020572295174

《 井上陽水アンビエント 知られざる音楽的冒険から“センチメンタリズム”への回帰まで/TOMC(トムシー) 》 サイゾー
https://www.cyzo.com/2022/07/post_315994_entry.html

《 私が素朴に思うのは、

  「いわばまさに」「いずれにいたしましても」「取り組んで行く姿勢を大事にしたい」と、何代も続いて、日本語のお粗末な政治家が総理大臣になれてしまうのって 何なの?ってことです。 》 buu https://twitter.com/buu34/status/1548128574091444224

《 安倍晋三氏の国葬について、気になるのは「天皇の参列」が強制されるのか、という問題。国事行為として行われるなら、天皇は否応なく、つまり強制的に参列を 強いられ、場合によっては安倍礼賛の弔辞まで読まされるかもしれない。その確認も必要ではないか。単なる閣議決定にそこまでの強制力はあるか。 》 山崎 雅弘
https://twitter.com/mas__yamazaki/status/1548158786321653761

《 NHKから安倍元総理事件の取材申込みがあって待っていたのに時間が来ても連絡がなかった。こちらから連絡したら「複数の専門家に依頼していて同じ意見の方がいた のでそちらに取材に伺うことにしたのですみません」との返事。呆れ果てたが今日のオンエアを見てさらに呆れた。1/3 》 原田隆之
  #nhk_news
https://twitter.com/tk_harada_tk/status/1547957657285586944

《 それは「カルト宗教の被害者の救済」です。

  宗教活動そのものを取締ることはできません。
  しかし、宗教活動による被害者は現実に存在します。そして残念ながらその被害者の声は政治の怠慢もあり、無視され続けてきました。
  そのお声に傾聴することこそ、まずは政治家としてなすべきことだと思います。 》 石垣のりこ
https://twitter.com/norinotes/status/1547802189187674112

《 日本会議統一教会などの宗教右翼の手は、何も自民党のみならず、野党側にも伸びています。甘い誘惑に抵抗しきれない人は残念ながら政界各所におられます。
  そうした歪な構造と文化から、日本の政治は卒業しなければいけません。
  そのためにはまず「被害実態」に虚心に目と耳を傾けることのはずです。 》 石垣のりこ
https://twitter.com/norinotes/status/1547802193897869312