展覧会図録『日本の版画 I 1900-1910 版のかたち百相』千葉市美術館・櫛形町立美術館1997年10月刊を久しぶりに開く。櫛形町立春仙美術館学芸員・小池満紀子 「近代版画と浮世絵」から。
《 明治40年代に、新版の浮世絵を刊行していた版元は、大平(松本平吉)と滑稽堂(秋山武右衛門)で、共に早い時期から浮世絵の芸術性についての認識のあったところで ある。(引用者・略)
次に滑稽堂は、大平と並び斬新な出版を行っていた版元である。(引用者・略)大平と同じく新時代の浮世絵の新方向を模索していることが窺える。滑稽堂の明治38年 (1905)の目録には「美術出版錦絵問屋」とあり、こういったところからも彼の姿勢が理解できるであろう。 》 19頁
《 このように、『國華』創刊号には、「木版彩色摺」の技法が、明治維新までの技術の域を脱しない情況であった。しかし、木版技術はそこにとどまるのではなく、 『國華』において、肉筆画を含めた、絵画複製を行ことは、木版技術の向上をはかる試みであり、毎号掲載される彩色挿絵はその成果を意味していた。そして明治後期には その熟達の度合を高め、同時に木版技術による表現の可能性を広げていくことにもなった。
また審美書院から東京美術学校日本画科出身の川面義雄の監修により『浮世絵派画集』が明治39年(1906)に出版、ここでは木版摺以外の手法、厚薄和紙貼合せの コロタイプ刷に下絵色分けするという方法などが用いられ複製されている。 》 20頁
図版には『國華』163号(1903年)、169号(1904年)そして192号(1906年)の木版画、三点が81頁に掲載されている。審美書院は、上記の言及のみ。図版は無い。 小原古邨は、言及も図版も無い。この一年後に平木浮世絵美術館「小原古邨の世界─西洋で愛された花鳥画」。
佐野美術館の小原古邨展では、10月1日(土)午後2時から講演会、「小原古邨──光と雨の世界」講師 小池満紀子(中外産業株式会社原安三郎コレクション担当、 国際浮世絵学会常任理事)が催される。行くつもり。
それにしても、二十世紀初頭(1900-1910年)の審美書院の、多色摺木版画入りの美術本の展覧会をどこかでやらんかなあ。私?『浮世絵派畫集』全五冊は所持していない。 『國華』は、創刊号から150号までは所持している。できれば双方を並べて展示したい。私一人では手に余る事業だが、今の夢。
ネット、うろうろ。
《 ステッドラーの鉛筆で描きくらべをしていたらステッドラー日本公式さんが大量の鉛筆をプレゼントしてくれて完全版が出来上がったので載せます
ステッドラーの鉛筆、10H〜12Bまで描きくらべ 》 時松
https://twitter.com/tokima_t/status/1562049558833942531
《 それがあれば
どんな夢もかなうというよ
誰もみな欲しがるが 遙かな世界
不労所得♪ 不労所得♪
They say it was in Nichigin 》 赤城毅/大木毅
https://twitter.com/akagitsuyoshi/status/1562745661858414593
《 「世間ずれ」という言葉を
「世の中一般の考えとズレている」
という意味で使う例をわりと最近リアルで聞いたんだが、あらためて国語辞典見たら、けっこう載ってて、文化庁調査によるともうそっちの意味にとるほうが 優勢なのか……。 》 高橋聡/禿頭帽子屋
https://twitter.com/baldhatter/status/1562384201949020162
《 国公立大学の授業料を無料にするのは、年間5000億円あれば可能だ。この5000億が将来の日本にどれほど貢献するだろう。 ちなみに、アベ元首相が在任中に海外にばら撒いた総額は60兆円。120年間にわたって国公立大の授業料を無料にできた。 》 青木 俊
https://twitter.com/AokiTonko/status/1562755793933717505