小原古邨の発見(閑人亭日録)

 1997年頃、三島の画廊主が東京で仕入れてきた何点かの花鳥画木版画を展示した。
 https://www.akanegarou.com/
 落款は「古邨」。その読み方を画廊主も私も誰も知らなかった。私は「烏は嫌いだが、これはいい」と『柿に烏』を購入。暫くして「おはらこそん」とわかった。
 http://web.thn.jp/kbi/koson.htm
 周囲は「古邨まつり」状態で盛り上がった。展覧会図録か何かの本で横浜そごうにあった平木浮世絵美術館での「小原古邨展 西洋で愛された花鳥画」 (1998年10月3日~11月23日)を知った。すでに終了していたが、行って図録を二冊購入し、一冊を画廊主に贈った。
 画廊主は、小原古邨の孫と連絡がつき、孫からフェノロサとか言う人の手紙があることを聞き出した。おお~。
 木版画は、大黒屋、滑稽堂を中心に150点ほど見た。気に入った十点ほどを購入。聞き及んでK美術館に来た風呂敷画商からは三枚に裁断される前のものなどを購入。
 K美術館では1999年、2001年に小原古邨展を開催。昨日講演された小池満紀子女史は現在、国際浮世絵学会常任理事で小原古邨を研究されている方。女史は『日本の版画 I 1900-1910』(会期 1997年10月19日-11月24日)山梨県櫛形町立春仙美術館の図録の解説で書いている。
《 明治40年代に、新版の浮世絵を刊行していた版元は、大平(松木平吉)と滑稽堂(秋山武左衛門)で、共に早い時期から浮世絵の芸術性について認識のあったところで ある。 》 19頁

 以下、二つの版元について詳説しているが、小原古邨の名は無い。図録にも掲載されていない。1997年の時点で小原古邨は全く忘れられた木版画絵師だった。 平木浮世絵美術館のことは講演でも出なかった。また「大平」は大黒屋の間違いでは、と昨日聞きそびれた。
  『日本の版画 I 1900-1910』図録では審美書院は、小池女史が『浮世絵派画集』について六行ほど書かれているだけ。田島志一はどの解説にも出て来ない。 小原古邨の次は田島志一だろう。

 ネット、うろうろ。

《 「国際芸術祭あいち2022」の感想を一言で言うと「いや〜多様性浴びた浴びた…」というものでした。これは現在世界中で行われている芸術祭の主流から まったく外れていないということを意味しているのでしょう。 》 会田誠
https://twitter.com/makotoaida/status/1576385962937942017

《 自民党は、統一教会から送り込まれた秘書の調査は頑としてやらない。そりゃそうでしょう、他国のナショナリズムを教義とする宗教の信者にとって国政関連書類見放題、 コピー取り放題の状態が何十年も続いていた事になるのだから。日頃、国防だ機密保護だと勇ましく唱えてきた皆さんメンツ丸潰れだものね 》 池田香代子
https://twitter.com/ikeda_kayoko/status/1575825408884625408