1970年代の歌姫(閑人亭日録)

 東京新聞に田家秀樹の飛び飛びの連載「80年代ノート 花開いたJ─POP」。一回目は「MILLION DOLLARS NIGHT」。昨日は「RC SUCCESION」。同時代を生きていたが 縁のない音楽界がそこにあった。
 1970年代は、私には浅川マキ、藤圭子そして山崎ハコ。私的御三家というより、歌から黒い衝撃を受けたから三羽烏だった。文字通りの黒い歌。タモリは当時、山崎ハコを ネクラ(根暗)と笑った。ネクラでいいじゃないか、と反発した。LPレコードをもっているが、最近はあまり聴かない。二十代の暗い暗い時を、彼女たちの歌でなんとか 生き延びた。ホント、ヒドイ二十代だったわ。好きな女には振られるし(数えたくない)。でも、当時振られた女性たち(!)と今でも付き合いは途切れない。みんな オバアサンになったけど、若い日の魅力は・・・まだあるねえ。何を書いているのか。酒を飲んでもいないのに。歌だ。若い人は、彼女たちの歌にどんな感想をもつだろうと 時々思う。「J─POP」なる音楽にほとんど魅力を感じない私。惹かれるのは藤圭子の娘、宇多田ヒカルくらいか。1980年代、私は何を聴いていたのかな。ワールド・ ミュージックだ。欧米以外、東燃アジア、中近東、アフリカ、南米、東欧、北欧、地中海。ポピュラー音楽で世界を巡っていた。セネガルから来た水資源省の女性官僚には ユッスー・ンドゥールの現地のカセット・テープを進呈。彼女はンドゥールと同年だと喜んだ。インドネシアからの学生たちにはダンス音楽、ダンドゥットの女王 エルフィ・スカエシのカセットテープをかけた。彼らは一気に踊りはじめた。大いに盛り上がった。ポピュラー音楽こそ初対面の外国人と打ち解ける有効な手段。 夏に源兵衛川を視察に来た東京の大学生たちとの会話で誰だったか忘れたが、若い歌手を話題にしたら(年配なのに)よく知っている!と驚かれた。それから 話はスムースに。

 知人の車に同乗。山梨県立美術館の縄文展へ行く。
 https://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/exhibition/2022/650.html
 三十年振りの訪問。会場はすいていて一点ずつゆっくり見られる。実物をじっくり見るのは初めて。大きいもの、小さいもの、こんなに面白いとは。深い鉢なんかどのように使用したのか、何を入れたのか、なぜこんなスゴイ文様を付けたのか? ごく小さなモノは身につける護符の類いか? いろいろな疑問が湧く。そしてその力強い洗練に驚嘆。現代の造形作品を顔色なからしめるほど。目が洗われた。満足。

 ネット、うろうろ。

《 ゴッホさんに聞いてみた
  (四コマ) 》 ネコロス
https://twitter.com/youyakuya/status/1580697939139514372

《 いい「作品」をつくることは、いい「おもちゃ」をつくること── 「「おもちゃ」と「テストプレイ」のアートへ」講師・岸井大輔インタビュー 》 美学校
https://bigakko.jp/course_guide/variousgenres/postcontemporaryart/interview_2021.html

《 ●マイナンバーカード紛失、再発行の際に必要な本人確認書類

  「1点でよいもの」
   運転免許証、パスポート等、官公署が発行した顔写真付きの証明書
  「2点必要となるもの」
  健康保険被保険者証、年金手帳、介護保険被保険者証、社員証、学生証等

    あれれ…? 》 木村知
https://twitter.com/kimuratomo/status/1580687416964567040