『縄文論』三(閑人亭日録)

 安藤礼二『縄文論』作品社二○二二年一一月一○日第一刷発行、「場所論」を半分ほど読んだ。驚嘆。付箋が林立。

《 しかし、未知なる表現の未来は、そうした「奇怪」で無惨な廃墟からしか生まれてこない。 》 80頁

《 現象即実在にして相対即絶対、一即多にして多即一。その絶対的に矛盾する事態を成り立たせる、アートマンブラフマンである、「心」はそのまま「真如」であるという原理。それが『善の研究』全体を貫く西田の哲学のもつ基本構造にして、西田の盟友・鈴木大拙によって近代的に解釈し直された仏教思想のもつ基本構造でもあった。 》  90頁

《 それは、文学における象徴主義の完成であるとともに、文学の消滅ともいえる事態を引き起こした。『善の研究』からはじまり、『自覚に於ける直観と反省』を経て、『働くものから見るものへ』の後編に収められた「場所」にいたる西田幾多郎の歩みは、ボードレールランボーマラルメの歩みと完全に並行している。類似と照応を可能にする「純粋体験」からはじまり、「純粋体験」を成り立たせる「自覚」(「見者」としての主体)の立場へ、さらには「自覚」を極限まで突き詰めることで「無の場所」へ、それは哲学における象徴主義の完成であるとともに、哲学の消滅ですらあった。 》 98頁

 東京新聞「論壇時評」、中島岳志ひろゆきが壊したもの」が読ませる。深く賛同。

《 インターネット掲示板2ちゃんねる」創設者のひろゆき西村博之)が、沖縄県名護市辺野古で新基地建設に反対する市民を揶揄(やゆ)したとして、話題になった。 》

《 ひろゆきの嘲笑は、さまざまなものを毀損(きそん)している。まずは、沖縄の人たちの尊厳である。自らのポジショナリティに対する省察がないまま、相手に軽蔑的な笑いを向けることは、許されることではない。
  そして、その笑いは議論そのものを毀損している。議論は、相手の言っていることに理があると思えば、自らの意見を変える勇気がなければできない。自らの正しさを疑い、相手の言い分に真摯(しんし)に目を向けることができなければ、議論は成り立たない。
  一部でひろゆきは「論破王」と言われている。この「論破」は議論ではない。時に優位な立場から相手を傷つけ、自らの設定した定義に基づいて一方的な論を展開する。そして、相手から反論されても笑みを浮かべ、巧みに論点をすり替える。これに多くの人が「いいね」を与えることで、ひろゆきは相手論破したと見なされる。
  私たちが取り戻さなければならないのは、議論の土台ではないか。  》

 ネット、うろうろ。

《 レコードの再ブームの背景にあったもの【“ココ吉”矢島店長に聞く、レコードの話 第1話】 》 FASHONSNAP.COM
https://www.fashionsnap.com/article/cocokichi-record/

《 定期的に「美術大学では作家になるノウハウを教えない」と批難する声をみかけるけれど、「アート」という技術はそんな単純なゲームではない。石膏デッサンからはじまって美術館収蔵でアガリといった双六ではない。そんなゲーム内ゲームが「アート」だったら、名づけ得ないものと遊ぶ訓練などいらない。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1595983351709458432

《 日本学術会議改革で法改正へ 岸田政権

  ①行政や産業界と十分な意思疎通を図れ
  ②組織運営に意見を述べる第三者委員会を設置
  ③第三者が学術会議会員の候補者を推薦

  国家権力による学問への露骨な介入。それにしても学者側ではなく、政府側でもない第三者とは一体何者なのか 》 盛田隆二 💙💛 https://twitter.com/product1954/status/1595728210918277120