『芸術人類学』四(閑人亭日録)

 中沢新一『芸術人類学』みすず書房2006年4月15日第2刷、「II 神話的思考」後半を読んだ。じつに興味深い。深く共感する箇所が多い。引用は少し。

《 西欧における「芸術」は、このような拘束の原理から生まれたものとして、「異教」世界で旧石器時代以来営々と続けられてきた芸術的な表現とは、根本的なちがいをもっています。「異教」の芸術は神話的思考と一体になって、発達しました。それはメタモルフォーシスを本質として、諸存在を隔てる壁を越えていこうとするトランスの原理によって、突き動かされています。ところが、西欧において発達した「芸術」は、そのような強力な変容への動きを押さえつけ拘束を加える「十字架の効果」のうちに、神話思考をしのぐ高度な創造の原理を見出そうとしたのです。 》 109-110頁

《 キリスト教の伝統では、生命力に突き動かされながら多様な方向に運動し変化していくものを、強力な一方向の力で押さえ込もうとすることによって、拘束が実現され、十字架によって象徴されるその力の交叉が、文化創造の原理となってきました。ところが、日本のような野生の思考の幸(さきわ)うところでは、拘束はむしろ内発的な力によっておこります。現象となって現実の中にあらわれ出る直前の、「機前」の空間のうちに直感的にとらえられる抽象的な「かたち」の原理をデザイン感覚で取り出して、その内発的な「かたち」のほうに身体運動を合わせていくことによって、拘束がおこなわれてきました。西欧では拘束は内容充実した「意味」が、無意味あるいは意味の過剰したものを、押さえつけ、締め上げることによって実現されてきたのにたいして、私たちのもとでは、無内容な「型」がそれをおこなうのです。 》 113頁

《 外側からの命令によって、一人一人が運動しているのではありません。からだの内部からわきあがってくる、抽象的で内発的な「型」が、みごとな群舞を生み出してい ます。意味などはありません。ただ美しいのです。 》 114頁

 ネット、うろうろ。

《 「民主主義の手続きにより多数の国民に信任された政府」は何をしても良いのか?
  憲法を自由に解釈し、国民の反対多数の政策を強行し、あまつさえ、国会を通した訳でもない戦争政策を首相が勝手に外国へ行って吹聴し約束まで取り付けて来る。
  民主主義の「選挙」は独裁者を選ぶ制度では無い💢 》 柿直人
https://twitter.com/kakki_nao/status/1614950683303890944

《 一般に日本で「批判」といえば、相手に文句を言い、叩き潰し、相手を黙らせるという意味だからな。そもそも批判とは論理的検討を通して議論対象の本質を明るみに出すことなのだが。 》 森岡正博
https://twitter.com/Sukuitohananika/status/1614575511191310336